コウ静子 (こう・しずこ)
料理家
- ― お母様の李映林さん、弟のコウケンテツさん、そしてコウ静子さん、と皆人気の料理研究家ファミリーですね。お母様の影響はとても大きかったのではと想像しますが。
- コウ 母から教えてもらったことはたくさんあります。小さい頃から、母が「社会見学」と言って市場に連れて行ってくれ、食べ物の大切さを身近に感じさせてくれる機会を多く作ってくれました。競りの勢いなどを間近に体験しながら、「食べ物は単なるものではなく、多くの人の手や思いが繋がって、届くものなのよ」と教えてくれたり。普段の生活の中で、母が様々な知識や知恵を与えてくれたんです。母は韓国の南にある小さな島、済州島の出身です。そこでとれる魚はソウルでは一ケタ違うと言われるくらい、新鮮で美味しい。山の幸、海の幸に恵まれた島です。そういうところで育った母親が日本に嫁いで来て、私たち4人の子どもを育ててくれました。母も、もともとは料理研究家になろうとかそんな風には考えていなかったようです。きっかけは母が私たちのためにつくる、食材の持っている力を生かした旬を感じさせるお弁当。いつのまにか話題になっていきました。PTAとか地域の活動の中で「教えてほしい」と言われるようになり、やがて評判になり、メディアにも取り上げられるようになったのです。
- ― 旬を感じるお弁当とは、どんなお弁当だったのでしょう。
- コウ 子どもに食を通じて四季の移ろいを知らせ、感じさせることはなかなか難しいことだと思うのですが、たとえば春ならばほろ苦い菜の花のナムルが入っているんです。その苦みは「冬に眠っている味覚を目覚めさせてくれるものだ」と、母は教えてくれました。また夏には、さっぱりしているけれど冷房で冷えた体を芯から温めてくれるショウガを使う。実りの秋には栗ごはん。そんなふうに、四季のいろんな要素を五感で感じられるような本当に素敵なお弁当でした。お弁当箱のふたを開けるのが本当に楽しみになるような。一つ一つが、母の愛情であふれていましたね。
- ― 静子さんは一度外資系の銀行に就職されてから、お母様のお手伝いをされるようになったとか。
- コウ はい。大学を出て、銀行に就職すると同時に母のサポートも始めたんです。仕事の休み時間に母の取材の打ち合わせをしたり(笑)。次第に私にも料理の仕事依頼が来始め、結果的に母のサポート、自分の仕事、銀行の仕事と楽しくも慌ただしい毎日となっていました。時が経つにつれて、仕事をしながら私なりに感じ考えた食にまつわる思いを、料理に込めて表現していきたいと、思うようになりました。とても自然な感覚で「そろそろかな」と。それで、銀行をやめ、料理を中心にお仕事をさせて頂くようになったんです。
- ― 韓国の食の知恵とはどんなものでしょう。
- コウ 韓国には薬食同源という言葉があります。日々の食事の中で、心と体を健康に保つこと。食にはとても大きな力があるという考え方ですね。体の状態に合わせて食べるものを考える。たとえば韓国には参鶏湯という料理があります。鶏を丸ごと入れたスープですが、体を温めるにんにくや餅米、鉄分やカルシウムを補うナツメ、血行を促す高麗人参などを合わせています。胃腸に負担をかけず代謝のよくなる食べ物です。このスープは、三伏(サンポク)という夏の暑い日に食べる習慣があります。夏に弱りがちな体や胃に負担はかけずに粥状のスープで栄養を摂り、熱いスープを「食べる」のは以熱治熱(イヨルチヨル)という熱をもって熱を治めるという考え方からです。日本では、スープは「飲む」と言いますよね。韓国ではスープは「食べる」と言います。まずその日の体調に合ったスープを頂くことは薬食同源の理にかなっているのです。
- ― そういえば韓国料理には必ずスプーンが出てきますね。
- コウ お箸より前にスプーンが置かれているはずです。それは韓国がスープをとても大切にしていることと匙の文化を持っていることの表れなのです。韓国には面白いことわざがあります。「スープをおかわりしない男とは結婚するな」という(笑)。日本語の意味だと「スープをおかわりしないような男は、懐が深くない、人としての器が小さい」というような意味でしょうか。あと「クンムルドオップタ」という喧嘩言葉があるんですけど、これは「もうお前にはスープの汁さえやらない!」という意味なんですよ。スープにまつわるいろんな話があり、スープが韓国の生活にどれだけ根付いているかよく分かりますよね。朝鮮半島は乾燥している気候というのもあるんですが、日常的にスープを食べる習慣があるんですね。土地の気候や習慣、思想と食は密接にかかわっています。サンチュやエゴマ、様々な葉物を包んで食べる習慣もありますよね。包んで食べることを、「ポッサム」というんですが、ポッは福、サムは包むで、福を包むという意味なんですよ。お肉にみそやネギなどを一緒に葉物で包んだり、色々なものを一緒に食べることで、口の中で調和して、味わい深く、同時に様々な栄養を一緒に取り込めるので体にもいいんです。こういう言葉一つとっても、韓国人がいかに食べることを大切にしているか、またその裏にある薬食同源の考えが分かりますよね。
- ― そういえば韓国料理には、最初に野菜の小皿もいっぱい出てきますね。
- コウ キムチやナムルなどの常備菜、ミッパンチャンですね。ミッパンチャンを作ることは、野菜が採れない寒い冬に栄養素を摂取するため、沢山のお料理を食卓に載せることで食卓に着く人への歓待を表すためなど様々な理由があるのですが、韓国料理には薬食同源を成り立たせるための方法論があるんです。それが「五味五色を大切にする」ということ。五味は「甘、辛、酸、苦、塩」。五色は「赤、黒、黄、白、青(緑)」です。これらをバランスよく取り合わせることで薬食同源の料理が実現するというわけです。ミッパンチャンはいろいろな色があって、目にも鮮やかですよね。普段の食卓でも、たとえば黄色が足りなければ錦糸卵を添える。赤色が足りないときは赤ピーマンを添える。見た目の彩りも美しくなって食欲がわきますし、栄養のバランスもよくなるのです。ひとつの野菜、たとえば白菜の中にも、芯の黄色い甘い部分と、一番外側の白いやや苦い部分とがあります。火を通す、通さないでも素材の味は変わる。口の中で調和して五味のバランスがとれるようにと料理を考えるのです。
- ― いろんな意味で、食べることに真剣で貪欲ですね。
- コウ そうですね。韓国人は「こんにちは」よりも先に「ご飯食べたの?」と言うようなところがありますね(笑)。食べることの大切さを感じているからこその言葉だと思います。私の家族も今はそれぞれ独立していますが、時間を見つけては「いつご飯食べる?」というように誰からともなく声をかけて集まります。大切な人と同じ食卓を囲むということもまた栄養になります。
- ― 食べることで結ばれている家族はシンプルに幸せだし、いざというときに、結束が固い気がしますね。
- コウ そうですね。実は、これは大人になってから分かったことなのですが、私たち兄弟は4人ともそれぞれに、「お母さんはいつも自分の食べたいものを作ってくれていた」と感じていたんですね(笑)。元気な時は何でも美味しい。でも母に言わせると、食べ方を見ているとちょっと調子が悪いとか、なんとなく食欲が進んでいないと分かるのだそうです。母親はそういう私たちの様子をしっかり見ていて、的確に作ってくれていたんですね。「食べる人のことをよく考えて、その人に必要なものは何かを感じて、思いを載せて料理を出す。そんな風に料理をすると、言葉はなくても料理を通じて思いを通い合わせることができる」と母は言います。料理は愛情そのものなんですね。食卓を囲んで母の愛のこもった料理を食べ、家族でたくさんの話をします。母が「感じる心」を食や料理を通じて育んでくれたからこそ、家族同士の思いやりも生まれ、以心伝心というか兄弟どうしでも、自然とお互いが感じていることなどがよく分かるんです。同じ食卓を囲んだ家族の繋がりは、そういう時間をたくさん積み重ねるから強いのだと思います。
- ― 素敵なお話ですね。食は全てに通じますね。
- コウ 韓国には肌のきれいな女性が多いですよね。これは食生活とも関係していて、自分の心と体を健やかに保てば、その人が持って生まれた美も輝くと思うのです。自分に今何が必要かを自問し、自分でちゃんと分かること、またそれをきちんと食べ続けることが大切です。母は言います。「今日、自分が何を食べたいかを考えるだけでも、自分を大切にすることなのよ」と。「今の自分が何が食べたいか」つまり「今の自分に何が必要か」を感じられないのは哀しいことです。高級なものや難しい料理である必要はなく、自分や家族と向き合って、体のリズム、心のリズムに合わせて料理をつくることが大切なんです。日ごろ忙しい方たちでも気軽に作れるものだとか、日々の食卓に並ぶ料理を私はみなさんに紹介したいと思っています。特に家族を持っていらっしゃる人は、日々の食卓の中で、一人一人、自分に向き合い、家族と向き合うことで繋がりや温かさを感じられる。そんな幸せな食生活を送ってほしいな、と思います。
美の逸品
「私の家でよく作る林檎茶をご紹介します。韓国では、お茶やおやつも薬食同源の考えに含まれます。木の実や、根っこなどをお茶にして、体調や気分に合わせて楽しむのです。林檎は紅玉を使い、塩でこすって洗います。それを皮付きのままいちょう切りにし、干したものに、きび砂糖をかけるのです。すると林檎の中から蜜が出てきます。それを水やお湯で割っていただきます。りんごはバラ科の植物。香りをかげば、ちょっと眠れないなという夜にも心からリラックスできますよ。」
コウ静子 (こう・しずこ)こうしずこ
料理家
料理家である母、李映林さんの韓国薬膳を取り入れた日々の食卓や、2人のいとこが韓医学博士で韓医師と婦人科医という環境から、薬膳や韓医学を身近に感じて育つ。自身も国際中医薬膳師である。TV、ラジオ、雑誌な…
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