No.13 安部修仁 / 読む講演会 クローズアップパートナーNo.13 安部修仁 /“読む講演会”クローズアップパートナー

創業以来のバリューを、未来につなげていきたい。No.13 吉野家ホールディングス会長 安部修仁

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成長性最優先から、倒産で安全性最優先の経営へ

No.13 安部修仁

今日は、V字回復の軌跡と称してお話をさせていただきます。僕の入社は1972年ですが、当時の吉野家は東京都内に5、6店舗があるだけでした。そこから1980年までの8年間が、言ってみれば、アーリーステージの急速成長の時代でした。この80年に、いろんな事情が重なって会社更正の申し立てをしまして、吉野家は、いわゆる倒産をすることになります。その後、東京地裁の管理下に入って、管財人の経営執行のもとにまったく別の経営が始まります。そこから終結するまで、87年まで7年間を要しました。創業成長期は、成長最優先、という概念で、本当にスピーディに経営判断も即断即決のハードワークの、起きている間はずっと仕事をするような急成長の時代でしたが、この成長性最優先から、まったく対極に振れた安全性最優先の経営ということに転換します。急成長の8年と安全性最優先の7年、合計15年間あったわけですが、これはまったく対極の経営の中で新たに育まれた技術やら習慣やら、まず我々自身、価値観を大転換しないといけませんでしたが、この15年は私にとっても吉野家という事業組織体にとっても、大変大きな、重要な15年でした。結果的に振り返ってみると、ここで大きな学習というか、今日に至る体質を作ってくることができたからです。チェーンというのは、小売り流通外食も全部そうですが、まず創業店でオリジナリティのあるバリュー、事業価値を作ります。その秀でたバリューを、今度は事業拡大していくために水平展開し、直線的に事業拡大する、というステップを経て行きます。吉野家の事実上の創業者は松田瑞穂です。創業店は築地店で、今も現存しています。彼の価値創造がいか程のコトか、僕自身がだんだんステップアップ、経営の立場に近くなるほど、本当に松田という創業者の経営の凄み、あるいは発想、探求心、実行力、執着心、ということを実感することになりました。

僕は1992年、42歳で社長になりましたが、そのときは吉野家は400店の単体だけでした。その後、リーダーの質量を豊富にしていく、という目的のために水平的にも垂直的にも、国内にも海外にも、いろんなブランドを新たに手がけながら、拡げてきました。現在は、吉野家事業を中心に寿司、ステーキ、さぬきうどんなど6事業部、国内は2300店、海外にも800店近くの展開をしていまして、合計で約3100店になります。海外のうち、780店は吉野家の海外店です。その出発店が、築地の吉野家です。吉野家の本当の創業は明治32年。ちょうどオリンピックの年に120年を迎えます。昔、江戸時代は日本橋に魚市場がありまして、関東大震災を経て、築地に移転します。事実上の創業者、僕らが親父と呼んでいる松田瑞穂は、第二次大戦のときに戦地から復員してくるんです。もともと法律の勉強をしていたので、本当は法曹界に行きたかったんですが、彼は東京大空襲で焼け野原になった築地で、家業の牛丼屋を継いだんです。当時、周辺の飲食店やら金物屋さんやらの小売店含めて、家業的な店を集めまして、東京都とかけあっています。今も現存していますが、フードセンターを作り、左端の角に、吉野家は戦後、復元するんです。10坪もない、当時は20席くらいの小さな店、というのが事実上の創業店です。彼は復員して戻ってきたわけですが、それでも家業を継いだ限りは、なんとか事業化して、社会的なものにしたい、という強い思いを持っていました。彼の使命感は2つです。戦地で死なせてしまった多くの若い部下たちのためにも、戦後の復興に向けて若い人たちを育てたいということ。そしてもうひとつが、やるからには、社会的な事業にしていきたいということ。彼はこの使命感を持ち、経営の目標を掲げて、さまざまに挑戦していくことになります。

「うまい、はやい」は築地から始まったから生まれた

使命感もそうでしたが、彼は、いろいろな目標をきちんと掲げていました。数字的にも、目標をきちんとメルクマールとして持っていました。例えば、築地店なら朝5時開店、昼の12時過ぎまでの限定的な営業時間で、年商1億円という事業規模を達成する。あの立地で、この数字は、相当な目標値だったと思いますが、そうするためにはどうするのか、に落とし込んでいきます。1日の来店客数を1000人にしたんですね。あの面積と営業時間と一般の人は立ち寄らないクローズドマーケットの中で、1000人の客数獲得は、とんでもない目標です。でも、そこから逆算して、ならば目標に至る条件は何か、というところを探っているのが、彼の類い希なところでした。吉野家が「価値の3要素」としている、「うまい、早い、安い」という3点の中の、うまい、早い、というのは、築地という特殊な環境の中で育まれたんです。1000食出す、というのは並大抵のことではなく、来店頻度を極限まで高めないといけない。もっというと、ユーザーに毎日来ていただける、という商品特性を作らないといけない。うまい、という条件は、後味と身体に馴染む食後感をテイストとして形成しなければいけないという思いから生まれています。この話になると僕はよく言うんですが、すき焼きと牛丼は似て非なるものなんです。A5の国産の特殊な高級肉、サシの入った肉で作られたすき焼きというのは、毎日、続けて食べられるようなものではない。その毎日は食べられないすき焼きを最初の原形としたのが牛丼ではあるんですが、それを毎日でも食べられるようにするために、素材の肉の特質も、タマネギの特質にもこだわりました。それを大きな鍋で加熱して煮るときに出てくるジュース、それとタレが相まって、独自の後味のいいテイストが出てくるようにしたんです。これがまず、松田が飽きない、毎日でも食べられる、とした「うまい」の条件でした。

もうひとつが「はやい」です。日本人は、サービスというものについて、世界中で最も感度が高い国民だと思うんですね。あなたにとってのサービスの定義は、というと、一人ずつそれぞれ違う説明が来る、という国です。松田のバリューづくり、オリジナリティづくりの個性的なところは、そのテーマ、<項目>の構成要件を最小単位までブレイクダウンしたら、それを構成する優先性の高い、テーマに集中特化してしまうことです。それ以外のものは思い切って捨てるんです。これは、彼のバリュー作りの特徴でした。サービスにはたくさんの要素があります。その中で優先順位を絞り込むわけですが、築地の特性のひとつは江戸前の粋、せっかちさです。魚市場の人たちは本当に忙しく走り回っていますから、ぼやぼやしていると本当に突き飛ばされます。そんな風情が、かつての築地にはありました。ですから築地でもいろんなサービスが求められたわけですが、松田がこだわったのが、「店に入ったらすぐに出てくる」というクイックサービスだったわけです。こうして松田は、吉野家のサービスの一優先事項を「はやい」に据えました。据えたら他のもの、例えばご機嫌伺いの「今日はいい天気ですね」なんてコミュニケーションはサービスの行動から全部捨てる。そうすることで、一優先を際立たせるわけですね。総花的にあれこれやると、この優先性の高い項目が損なわれてしまうんです。これは松田格言、松田語録のひとつとして残っています。「はやい」というものを最大のサービスに置いたら、邪魔する劣後のものはないほうがいい、と考える。僕らもやっていてわかるんですが、いろいろなことをやり始めると、途中でやめたり捨てたりというのは、本当に勇気がいることなんです。でも、総花的にやると優先性の高いことが際立ったことにならない。2つの要素、なくてはならないものに集中して際立たせたということです。

プロフィール

安部修仁/  吉野家ホールディングス会長

高校卒業後、プロのミュージシャンを目指して上京、バンド活動の傍ら、吉野家のアルバイトとしてキャリアをスタート。アルバイトからトップに上り詰めた叩き上げの経営者として知られる。1980年、吉野家の再建を主導し、92年に42歳の若さで社長に就任。在職中はBSE問題、牛丼戦争と呼ばれる熾烈な競争を社員の先頭に立って戦い抜き、元祖牛丼店である“吉野家の灯り”を守り続けた。2014年5月に吉野家ホールディングスの代表取締役を退任。若い後進に道を譲る。この勇退劇は後継者不足に悩む企業経営者に衝撃を与えた。現在は若い世代に自身の経験を伝えるため、精力的に活動している。講演ではこれまで培ってきた経験を基に、経営論、人材・後継者育成、キャリア論などを伝える。

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