No.29 原千晶No.29 原千晶

インタビュー INTERVIEW/美しい人 No.29 原千晶 「ありのままに、自分らしく。 ずーっと強いとか、ずーっと美しくなくていい。 この人のこういうところがいいよね、と言われるように。」 Photo:三宅詩朗/ Text:森綾/ Edtior:多久島志保乃

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インタビュー INTERVIEW/美しい人 No.30 友利新

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No.29 原千晶

― 原さんは今はとてもお元気そうですが、2度のがんを克服されてきたのですね。
 はい。まず2005年に子宮頸がんを切除しました。体に異変を感じたのは、2004年の夏頃です。もともと生理が重いほうだったのですが、秋頃には痛みが日常的なものになってきて、これはおかしいと思い、病院へ行ったのです。そのときは、「1センチくらいのポリープができているけれど、切除してみないとわからない」という診断でした。それで、2005年の2月に手術を受けました。子宮頸部をポリープとともに円錐状に切除する手術でした。その3週間後、母と病院を訪れると、がんだと告げられました。
― それはなんと言っていいか。本当にショックだったでしょうね。さらに手術が必要だったのですか。
 医師に子宮の全摘手術を勧められました。再発すれば命に関わると。でも私はそれを受け入れられなかった。ものすごく悩みましたが、当時30歳で、いつか結婚して好きな人の子どもが欲しいと思っていましたから。ひょっとしたら医師は慎重な道を勧めているのかもしれない、と思い込もうとしました。私は全摘せずに完治するというわずかな可能性にすがってしまったのです。完全に、私のがんに対する認識が甘かったのです。
— 今の原さんなら当然、全摘を選ばれたということですね。
 もちろんです。でも当時の私は本当に精神的にも揺れ動いていました。ひと通り、本を買ったり、ネットで情報を検索したりはしました。でも目を背けたくなるような現実がそこにはあって「私はここまでじゃない。関係ない」と自分に言い聞かせたり「子宮じゃなければ、胃や腸なら手術するのに」と思ってみたり。挙句の果てに「子宮頸がんってセックスで感染するんだ。じゃ、今の彼がよくないの?それとも何年か前に付き合った人が悪かったの」と、人を責めてみたり。
— 2005年の段階では、まだ子宮頸がんについての情報がなかったのでしょうか。
 そうですね。ワクチンの接種も法律で認められていなかったし、検診の大切さもあまり告知されていませんでした。情報に偏りがあったのです。
— 今ならたくさん情報がありそうですが。
 それはそれで、今度は情報が溢れすぎている気もします。私の経験を振り返っても、がんを告知されて情報をかき集める時期がまずあって、その後、精査するのにくたびれる時期がありました。人が親切に教えてくれる情報に対して真面目に向き合いすぎて「それも試してみなきゃいけないのかな」と、くたびれてしまうのです。それを乗り越えて、自分で決断しなくてはいけないのですが。

No.29 原千晶

— とりあえず、最初のがんで、原さんは子宮の全摘手術を拒むという決断をされました。その後、5年目に2度目のがんを経験されるわけですね。
 はい。今度は子宮体がんでした。まずは「準広範子宮全摘手術」を受け、追加治療として放射線治療と抗がん剤治療が必要です、と。そう言われて「マジなやつだ!」と認識しました。30歳のときのとは違う。再発ではないけれど、あのとき、子宮を全摘していたらこのがんはなかったのです。
— それは最も大きな反省点でしょうけれど、他に反省すべきことはありましたか。
 経過観察で、3年目で病院に行くのをぱたっと止めてしまったことで、発見が遅れたことです。体調もいいし、生理もちゃんと来てるし、いつまでもがんと向き合っているのが嫌になったのです。周囲を見れば、友達は結婚したり、子育てをしたりしている。私にだけ病気が張り付いて足止めをくらっているような気持ちになってしまったのです。せめて3ヶ月に1度検診に行っていれば早期発見できたのですよ。
— 一般に5年経過すれば完治と言われますが、そこへの期待もあったのでは。
 確かに2010年2月を過ぎれば解放されるという思いはありました。でも見つかってしまった。強烈な後悔と言い知れない恐怖がありました。「やっちゃった」と。しかも進行性のがんで、リンパにも転移していました。ステージは3Cでした。
— さぞかし怖かったでしょうね。でも手術も成功し、そこから7年。お元気になられてよかったです。
 6クールの抗がん剤治療を乗り越え、寛解しました。いまだに半年に一度は検診に行っています。
— 治療後、1年半で患者会を立ち上げられましたね。
 「よつばの会」として、乳がん、卵巣がん、子宮がんなどの女性特有のがんを経験した人の集まりを立ち上げました。いたみを共有することで癒されるという目的もありますが、何よりみんなで「生きたい」という思いを大事にしようと思っています。きっかけは、2011年11月にブログにがんの闘病を発表したことです。そこでたくさんのコメントをいただいたのですが、ほとんどが「私もです」という経験者の人たちからのものでした。実際、入院していたときは同病の人たちと話す機会はほとんどなく「なんで私だけが」という思いから解き放たれませんでした。殻に閉じこもらないことが、まず大事だと思ったのです。
— 実際に皆さんとお話しされてみてどうでしたか。
 2010年7月に最初の集会をしました。16人来てくださいました。同じ経験者として、話すとすっきりするものなんですね。それは「自分だけじゃないんだ」という思いがあるから。5年以上続けて来れたのは、皆さんのおかげです。悲しいことですが、亡くなっていく方もいました。しかも同い年で本当に気心の知れた友人でした。出会ったとき、私も結婚したばかり、彼女も結婚して3ヶ月。そこから10ヶ月後に亡くなってしまったのです。目の前で彼女を看取って、何ヶ月かは本当にきつかった。「こんな会、立ち上げなければよかった。やめたい」と思いました。でも仲間が「そんなことはない。今やめたら、ほかのみんながもっと悲しい思いをする」と言ってくれました。亡くなった彼女はいろんなことを見せてくれて、教えてくれた。生きている私たちがそれをどう生かしていくか。それが本当に大事だと気づいたのです。
— 原さんおひとりの講演では、そういう話もされるのですね。
 はい。そして早期発見、早期治療の重要性を強調しています。例えて言えば、人は誰でも生まれてきて生きていくためのカードを10枚はもっている。でもがんが進行し次々に治療をしなければならない状況は、どんどんカードを切らされていくのと同じなのです。早く見つかって早く手術できれば、カードは1枚で済むのですからね。
— 抗がん剤を使うと髪が抜けたりといった副作用もあると聞きます。原さんは女優としてルックスも必要ですから、さぞかしそこでもつらい思いをされたと想像します。
 抗がん剤が終わり、ウィッグがとれて、2時間ドラマに出たとき、走るシーンがあったんです。最初は足がむくんで走れなかったけど、走ることができたときは「やった」と思いました。正直、10キロぐらい太ってしまいましたし、治療前の自分にこだわってしまうこともあります。理想形を「がんになる前の自分」に求めてしまう。でも、いったん壊れたアイデンティティーにこだわっても仕方がない。それを利点にしていく生き方をしなくてはなりません。
— 今はコメンテーターやタレントして活躍されていますし、女優としても病気を経験されて人間として深まったことはいい影響を与えるのではないかと思います。今の原さんにとって「美しさ」とはどういうことですか。
 自分のありのままを生きる、ということだと思います。20〜30代の頃は綺麗な人ばかりの芸能界で、刺激が多く、自分以上の自分を見せようと頑張っていました。もちろん、そのほうが自分を高められるという人もいるでしょう。だけど、私の場合は、頑張って疲れちゃってがんがわかった。だから、生き方を変えようと。ありのままに、自分らしく。ずーっと強いとか、ずーっと美しくなくていい。この人のこういうところがいいよね、と言われるように。欠点だって、自分のなかの一部分なのですから。それが自分が生まれてきたこと、そして大事な家族への感謝の思いにもつながると信じています。

私を美しくしてくれる一品

No.29 原千晶

病気をきっかけに、匂いに敏感になったという原さん。天然の優しい香りがほのかに漂うハンドクリームを何種類か使い分けているそうです。「たまたま店で見つけたshiroというブランドは、私の故郷の北海道の材料を使ったもの。パッケージもシンプルで、ふわふわした香りが気に入っています。香りは女性を助けてくれるアイテムですし「今日もがんばろう」というスィッチの一つにもなってくれると思います」。

プロフィール

原千晶(はらちあき)/ タレント/ 婦人科ガン経験者の会

1974年北海道帯広市生まれ。1995年第21代クラリオンガールとして芸能界デビュー。以降、TVや雑誌などを中心にタレントとして活動。30歳の時に子宮頸がんを宣告され、子宮全摘を医師から勧められるが踏み切れず子宮を温存。その後35歳の時に再び子宮体部と頸部にがんが見つかり、手術と抗がん剤治療を行う。自身のがんの経験から、2011年7月婦人科がんの患者会「よつばの会」を設立。2017年現在会員数は600名近くにのぼる。著書に『原千晶39歳がんと私、明日の私、キレイな私』(光文社)がある。現在、各地でがんの啓発に携わり、講演活動もさかんに行っている。

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