No.12 佐々木常夫 / 読む講演会 クローズアップパートナーNo.12 佐々木常夫 /“読む講演会”クローズアップパートナー

定時に帰るために。50代以降を充実させるために。逆境に立ち向かうために。「多様性を活かす組織の実現に向けて〜50歳からの生き方〜」 No.12 元東レ経営研究所社長 佐々木常夫

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長男が自閉症。妻はうつ病で自殺未遂、入退院を繰り返す

No.12 佐々木常夫

まずは経歴です。長く東レに務めていまして、定年退職しました。企画や管理の仕事が中心でしたが、普通のサラリーマンでした。2003年、東レ経営研究所の社長になりました。東レにいたときけっこう忙しかったんですが、社長になったらヒマになりました(笑)。社長はいいですよ。部下に仕事やらせたら、自分の時間を見つけられます(笑)。

それで、出版社の社長に頼まれて本を出しました。『ビッグツリー』という本です。これが、けっこう評判になって、テレビや新聞、雑誌の取材がたくさん来ました。

私には子どもが3人います。一番上の子が、自閉症という障害を持って生まれました。自分の関心あることはやるが、それ以外のことはやらない。まったく社会性がない。

学校では、トラブル続きでした。幼稚園は2カ月で退園。先生が面倒見切れない。小学校もトラブルが多発しました。しょっちゅう呼び出されて、PTAは毎月のように出ていました。

赤ちゃんのときは、普通でした。まったくわかりませんでした。3歳半になって、自閉症じゃないかという診断がなされました。子どもは長男、次男、長女と生まれたんですが、1歳違いの年子なんです。

自閉症の上の子が3歳のときは、下が2歳と1歳。ずっとこれが続いていくわけですね。家の中は戦場でした。妻だけでは、とても子育てはできず、私も当たり前のように手伝っていました。

長男の小6の運動会の写真が残っています。彼はよーいどんと言っても走りません。まわりの風景を眺めてゆっくり歩き出します。学校には障害のことも言っていましたが、それなりにみんな仲良くやっていくようになりました。

しかし、中学入ると、いろいろなことが起き始めました。イジメがあったり、不登校があったり。高校も、ひどい成績でした。ただ、彼は意味のないものを覚えていくクセがあるんですね。それで教科書を全部、暗記しちゃった。学校の成績は跳ね上がりました。 これで、なんとかなるかな、と思ったんですが、高3のときに幻聴が聞こえ出しました。けっこうきつい幻聴で、やっとの思いで高校を卒業しました。

いまだに幻聴があります。それで週に3回、施設に通っています。ずっと面倒をみないといけません。

続いて、パートナーの話をします。1984年に急性肝炎で3年ほど、ほとんど入院生活を送りました。1997年には、肝硬変とうつ病のために3回入院しています。以降、1998年から年に5回、4回、5回、8回、6回、5回。合計40回くらい入院しています。1回だいたい1カ月半ですから、一年の半分くらい入院していたこともあります。

うつ病とわかったのは、2000年頃でした。自殺未遂をしたんです。次の年にも、2回、自殺未遂をしました。最後の自殺は、普通なら死んでいました。たまたま娘が見つけて、私に電話をかけてきたんです。お母さんが大変なことになっているからすぐ帰ってきて、と。

奇跡的に助かりましたが、さすがに私も、これで人生半分終わったかという絶望感の中にいました。この人は、今日助かっても、また明日やるかもしれない。すでにもう3回、自殺未遂をしている。私は仕事があります。24時間、見張るわけにはいきません。いずれ、この人は死ぬと思いました。

毎日、会社から定時に帰ることができた理由

そもそも、なぜうつ病になってしまったのか。一つは、自分の責任で障害の子どもを作ってしまった、という思いです。彼女の血液型はA型、典型的なA型でした。完璧主義なんです。

家の中はいつもきれい。料理は手を抜かない。そこにプライドがあったわけですね。ところが、そういう人が何もしないでただ病院で寝ていなければならなかった。障害の子どもの面倒を見られない。自分なんて、いないほうがいい。離婚したほうがいい。死んだ方がいい。そんなふうに自分を責めたんです。

東レに入って最初は、大阪で18年間過ごしていました。ところが、1987年から東京、大阪としょっちゅう行ったり来たりするようになったんですね。

同じところに3年いたことがない。彼女は、ここでたくさん入院するんです。長男が入院していたこともありましたから、午前中も午後もお見舞い、なんてこともありました。

では、この苦境をどう乗り切ったのか。1984年から3年間、パートナーはほぼ病院生活だったわけです。子どもまだ小さかった。私は毎朝5時半に起きて、子どもたちの朝食と弁当を作りました。

この年、私は課長になっています。部下より1時間早く会社に来ていました。みんなが出てくる前に自分の仕事のダンドリを決め、あとは一直線に仕事をして、夕方6時には会社を出るんです。

家に着いて食事をさせ、宿題をさせて、食事をさせます。土曜日は病院に見舞いです。週1回だけですから、なるべく長い時間いてやりたかった。日曜日は1週間分の掃除洗濯、買い物です。

会社の仕事は、できるだけ徹底的に効率的にやるしかありませんでした。部下にいつも言っていたのは、ビジネスは予測のゲームだ、ということです。これが起こったら次に何が起こるかを予測して、先手先手で仕事をしなさい、と。私がこれを実践していました。

実際、毎日のように定時に帰れていました。どうしてか。その年に課長になっていたからです。組織の責任者は、どんな仕事をどうやるか、自分で決められます。これが責任者じゃなかったならそうはいかない。上司の指示に従わないといけないし、許可を得ないといけない。

だからよく言うんですが、ワークライフバランスとか、働き方改革をしようと思ったら、早く管理職になることです。そうすれば、ラクになります。

あれだけ入退院を繰り返した我がパートナーでしたが、実は2003年以降、一度も入院していません。私が東レ経営研究所の社長になった年です。社長になったとき、私は会社の仕事のやり方は私に従ってもらう、と宣言しました。

つまらない会議はやらない。極力短くする。資料は簡潔に。ビジネスは予測のゲーム、先手先手で仕事をやる。忙しいときの残業は仕方がありませんが、通常は全員定時で帰る。それを前提で仕事を組み立てる。

パートナーから1日3回、携帯に電話がかかってきました。不安を訴えるわけですね。東レにいたときは帰れませんでしたが、今度は社長です。やりくりして帰ることができました。それで3回続けて帰ったら、「もう帰ってこなくていい」と言われました。

彼女にしてみれば、もう7年も8年も一度も帰ってこなかった旦那が、3回も帰ってきたわけです。毎日、早く帰ってくる。

自分をサポートしてくれるという安心感が彼女のうつ病を治してくれたようです。

私は自分の家族のために自分の時間を確保しないといけなかった。みなさんも一緒ですよ。いい映画を観たい、本を読みたい、自己啓発の勉強をしたい。いろいろやりたいのにできない最大の障害のひとつは、長時間労働と非効率労働です。

仕事の成果と長時間労働とは必ずしも関係ありません。あるのは、一般の人は自分の脳の能力の6%しか使ってない、という事実です。94%の脳細胞は寝ている。この脳細胞を叩き起こして、戦略的効率的な仕事をしていかないといけないんです。

プロフィール

佐々木常夫/  元東レ経営研究所社長

秋田市生まれ。6歳で父を亡くし4人兄弟の次男として母の手ひとつで育つ。自閉症の長男とうつ病の妻を持つ。肝臓病をも患う妻は20年の間に43回もの入院、3回の自殺未遂を起こす。育児、家事、介護に追いかけられる状況の中で、破綻会社の再建やさまざまな事業改革に取り組む。2001年、同期のトップで取締役就任。2003年東レ経営研究所社長に就任。その著書『ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない』が反響を呼び、さまざまなメディアに取り上げられ、2011年ビジネス書最優秀著者賞を受賞。

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