No.26 室伏由佳No.26 室伏由佳

インタビュー INTERVIEW/美しい人 No.26 室伏由佳 「誰もが心と体に向き合っているから。「セルフコンディショニング」の大切さを伝えていきたい。」 Photo:三宅詩朗/ Text:森綾/ Edtior:多久島志保乃

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No.26 室伏由佳

― 室伏由佳さんは「陸上競技をするために育った」と言えそうな環境ですごされましたね。ご自身はいつ頃からその世界に入られたのでしょうか。
室伏 陸上は中1の部活から始めました。父がオリンピック選手だったことに大きな影響はありましたね。小さいころから私は足が割と早かったので、初めは短距離の選手として陸上競技を始めました。そして、走高跳び、100メートル走、砲丸投げの3種競技Aという、記録によって点数がつけられ、合計得点を競う競技に取り組むことになりました。全国中学総体に出場を果たし、5位になりました。実は、走り込みなど、練習がとても嫌いでした。でも陸上競技は大好きなので続けたいと思いました。高校進学に当たり、種目変更をすることにしました。コーチである父と相談して、「投擲競技をしてみるのがいいんじゃないか」と言われ、砲丸投げ、円盤投げ、槍投げの3種目から選ぶことになりました。当時はまだ、女子のハンマー投げは正式種目になかったので、選択肢にはありませんでした。
 円盤投をテストとして投げてみたところ、父が私には「円運動に適性がある」と見出してくれて、円盤投を本格的に行う事にしました。「円盤なら、そこそこ全国大会でも上位に入れて、競技自体も楽しめるのでは」という事が理由でした。
― 由佳さんの才能を発掘されたのはお父様だったのですね。
室伏 そうですね。競技者としては、引退する35歳という高い年齢まで競技を続けることができましたからね。国際大会に出場して、世界の選手とも戦いました。海外の80~90㎏の選手と比べると私は身体的にはとても小さくて、体格差がありました。そのため、国際大会で活躍するような記録を出すのは、本当は難しかったです。
 高1で円盤投げを始めて、たった1年で、全国大会で優勝できるような記録まで伸びました。
 高校時代は通学に片道1時間半ぐらいかかりました。陸上部の顧問の先生と父親がトレーニングをどのようにすすめていくのか相談していました。投擲の選手として実践すべき筋力トレーニングや投擲練習などを高校生の私に合わせ、身体を少しずつ作っていきましたが、将来長く競技を続けることを念頭に置いていたので、決して無理なことはさせずに進めていきました。
― 順調に競技と向き合っておられたのですね。
室伏 いや、でも失敗をすごくしたんですよ。実は、私はメンタルが弱かったんです。練習で良い記録で投げられても、実際には大事な本番で結果が出ない事が多かった。自分の記録を自分で破れないことで悔しい思いをしました。身体と共に、メンタルを強化することが自分の課題でした。そのため、高校時代は一度も全国大会レベルの試合で優勝したことはありませんでした。
― フィジカル(体)とメンタル(心)。自分自身を精神的に乗り越えられたような体験はあったのですか。
室伏 高1のとき、国体で2位になったのに2 ~3年は逆転負けの大失敗。まあそれだけの取り組みしかできていなかったんだと思いますが。
 ところが大学になり、1年生のとき、全日本インカレで予想外の優勝をしたんです。たまたま、そのとき出場していた有力選手たち、とくに、競技歴が長い上級生に当たる皆さんの調子が悪かったというのもあったのですが、私は完全にチャレンジャーとして、夢中になって試合で投げていたんです。その結果自己記録ベストを投げることができたんです。
 そこで「なぜ自分が勝てたのか。なぜ自己ベストを出せたのか」を必死に考えました。それが、大きなターニングポイントになりました。
― なぜ、勝てたか。その答えはなんだったのでしょうか。
室伏 勝とうと思ってやったんじゃなく、どういう気持ちで戦ったのか。それを考えたんです。そこでわかったのは「出し尽くす」「やり尽くす」という気持ちでした。無我夢中でやっていたことが良かったんですね。そこから「出し尽くす」「やり尽くす」を練習しようと思いました。
― ずっと素直にお父様を含む指導者の言うことを聞いてこられたのですか。
室伏 大学時代は自己流で突っ走った時期がありました。私は「たくさん練習すれば強くなる」と思い込んだ時期もあったんです。父は40歳まで現役でしたので「それじゃダメだ。練習には適量があるし、個体差もある」とアドバイスをくれていたのに無視していました。その結果、記録は横ばいになり、4年生のときにもう一度「基礎からやり直したい」と私から父に指導を願い出ました。そうして4年生のとき、全日本インカレでV4を達成できました。父との本当の二人三脚が始まってその1年後、実業団選手としての初戦で円盤投の日本記録を樹立しました。
 実は、ハンマー投を始めたのは年齢的にはだいぶ遅いです。4年生のシーズンが終わった秋、22歳になる少し前でした。率直に、「ハンマーをやってみたい」と父に相談しました。2000年シドニーオリンピックで、女子ハンマー投げが正式種目に導入されることを知っていましたが、ハンマー投をはじめれば、注目を浴びてしまいやりにくいと思って避けていました。父は、ハンマー投の方が、活躍できる可能性があると言っていましたから、意を決し、始めました。そこから、オリンピックを目指して、本格的なトレーニングをすることになりました。1999年、社会人1年目でハンマー投も競技会に出始めました。

No.26 室伏由佳

― 活躍されると同時に、自らの体の不具合との付き合いも始まっていったのですね。
室伏 ハンマー投をはじめて、5年半。2004年アテネオリンピックに出場を果たします。とても順調な競技生活を送っていましたが、その翌年、2005年の1月から、急性腰痛症を繰り返し引き起こしました。一番辛かったのは、原因が不明の腰痛との闘いでした。2011年5月に腰椎専門の医師と出会う事が出来、ようやく原因が解明されました。高校時代、腰椎椎間板ヘルニアが少し出ていると診断されました。その後も大きな症状は出ませんでしたが、たまに急性腰痛症になりました。ヘルニアは椎間板を映すMRIで確認できます。しかし、腰が痛いとMRIか骨の異常が無いかレントゲンを映すのみにとどまることがほとんどだと経験しています。ここでの落とし穴として、関節の問題を見るためには、CTを撮る必要がありますが、一度も撮ったことがありませんでした。そして、私の診断の結果は、脊椎管狭窄症でした。ハンマー投と円盤投げは、両種目ともに左脚を軸に回転をします。その練習を何度も繰り返した結果、左腰椎の関節(椎間関節)に負荷がかかり、変形をしていることが画像診断によりはっきりと判明しました。椎間板ヘルニアの膨隆と、椎間関節の変形、ちょうどサンドイッチのように神経を挟み込み、圧迫していたんです。2012年6月、ロンドンオリンピックの選考会に出場をした後、同じ月に肥厚した骨や関節を削り、癒着した神経を剥離する大きな手術しました。リハビリを経て、そして術後の復帰試合を行い、引退試合としました。
― もうひとつ、婦人科疾患の闘病もされていたんですよね。
室伏 はい。2003年に子宮内膜ポリープが発覚しました。ポリープは多くの方が持っているケースがあると聞いていますが、私の場合はそれが災いし、痛みを強く引き起こしました。経過観察をしながら、2004年、3月、アテネオリンピックの選考会の3か月前に、処置として切除術を受けます。その後は痛みなど大きなトラブルが無かったので、定期検診などにあまり行かなくなっていました。腰痛の方が大変な状況で、婦人科検診まで気が回りませんでした。それから5年、2009年3月に子宮内膜症が発覚します。2003年に体験した痛みとは格段に違う、耐えられない痛みでした。知らない間に出来た卵巣内の腫瘍(チョコレート嚢胞)が破裂していたんです。
 原因がわかったことから、はじめは対症療法として、低用量ピルによる治療を行いました。腫瘍が大きくならないように、縮めるという目的でした。もちろん、手術をしなくては根治しません。当時、競技会に向けてのコンディショニングを目的とした婦人科の周期を調整することや、婦人科疾患の予防を目的としたホルモン療法等、適切な治療法を行っている選手は極めて少ない時代でした。現在はだいぶ女性アスリートの将来を考えて、いろいろな対応や対策、ケアが進んでいます。医学の進歩もあります。しかし、私が直面した当時は、欧米などと比べると、女性アスリートの婦人科疾患などへの対応目的として必要とされる治療薬等の服用は1%にも満たない程度の状態と、婦人科のスポーツドクターから伺いました。副作用からパフォーマンスが低下するのではないかと心配したり、色々とイメージ的に抵抗がある方が多くいらっしゃったと思います。しかし、現代病ともいえる子宮内膜やポリープ、子宮筋腫など、様々な病気を抑え込むことのできる有益な対症療法の選択肢があることを婦人科医からレクチャーを受けました。女性の体を守りながら、競技も思い切って取り組める環境になってきています。
 原因不明の腰痛で苦しんだ時もそうでしたが、「痛みさえなくなればできると思う」と、やみくもにがんばっても、自分の力だけではできないことが増えていくだけでしたから、また落ち込むことの繰り返しだった。
 私は、引退する1年前、2011年の4月に、ようやくアスレティックトレーナーが常駐する環境ができました。私と同い年の女性トレーナーで、友人関係にもなり、引退するまでの大きなバックアップをしてもらいました。医学的な情報を得て、計画を練って取り組んで、引退に向けていきました。
― そういった経験が室伏さんに教えたくれたものはなんでしたか。
室伏 アスリートはとかく我慢しがちです。でも痛みは我慢するものじゃなく、原因を見つけてなくしていかなければならないということです。
 病気だけじゃなく、ケガも同じ。たとえば、現役時代の話ですが、後輩が捻挫をしたので「病院に行って、先生(医師)に診てもらうように」と促しました。翌日、「どうだった?」ときいたら「はい、治療院の先生のところに行ってきました!」と言うんですね。鍼灸、マッサージなどは有益なトリートメントの方法だと思います。しかし、医師の診断とは異なるのですが、どうも「先生」ということで、医師と治療家の方が一括りになってしまっているケースもあります。医療機関で画像診断をしてもらう事は、医師にしかできない事です。画像診断にもそれぞれ役割があり、X線は骨の異常がないか、CTスキャンでは関節に異常がないか、MTRは椎間板(ヘルニアなど)を確認することができます。症状によって、こうした検査をして、正確な情報を得てから、治療を選択しないといけないと思います。アスリートに向けたそういう基本的なレクチャーって、まだまだ必要なのだと思いました。
― 引退された室伏さんは、アスリートに向けたレクチャーをされているのですか。
室伏 私のこれまでの人生は確かに「セルフコンディショニング」を考え続けるものでした。でも自分の心と体に向き合って最高の状態を作っていくことは、アスリートだけではなく、どんな人の人生にも必要なものだと思うんです。自分で考えて、選んでいく。責任をとっていく。
 私はすべての人生、というベクトルで「セルフコンディショニング」の必要性を伝えていきたいと思っています。
― ご自身で、これからやりたいことはどんなことですか。
室伏 今は研究者として教育者として大学にいますが、今年4月から再度、博士号取得のために大学院に入り直しました。
 公私ともに、人と向き合うことにもシフトしていって、今まで出会ったことのない人たちにも出会っていきたいと思っています。
― 今はもう、激しい練習をされていたアスリートだったと言われなければわからないくらい、美しくてスレンダーでいらっしゃいます。引退後は美に対する考えにも変化がありましたか。
室伏 はい。選手時代は、学校でジャージじゃないと「今日は何かあるの?」と言われましたからね(笑)。その当時の私は、その場にそぐうために、気がそれないためにも自然にジャージでいました。見た目を作って記録が落ちたら怒られますしね。「お化粧なんて塗ってもどうせ取るのに。だいたい化粧して記録は伸びないでしょ」くらいな考えでしたよ(笑)。
 でも今はすっかり、場に応じて切り替えておしゃれするようになりました。それは「よく見せる」ということじゃなくて、身だしなみなんですよね。心地よく話を聞いてもらうためにはその場にふさわしいおしゃれをすることも必要でしょう。相手が学生のとき、社会人のときと、場に応じて服装は選んでいます。
― 食生活も随分変わりましたか。
室伏 そうですね。アスリートの時から食生活を充実させることを心がけてきました。実は、10代のころは偏食傾向だった時期もあって、いろいろと食べ方も失敗したことがありますが、長年かけて自分の体に合うものに変えていきました。引退後は、競技のためにというよりか、心身ともに健やかになるために楽しく、そして自分に合った食生活を心がけています。最近はいろいろな食の勉強もできますね。近頃、オーガニックフードなどに詳しい友人や知人におすすめのものを頂いたりしました。偏らないように、色々と試しながら、食に関する情報交換を楽しみながらしています。料理やお菓子作りも、アスリート時代以上に楽しんでいるんですよ。

私を美しくしてくれる一品

「ケーキ」

料理やお菓子作りが趣味という室伏さん。子どもの頃からケーキ作りが大好き。写真のケーキは、友人からいただいた「スーパーフード」と言われるホィート・グラス(麦の葉を粉にしたもの)、おから、アーモンドプードル、ブラウンシュガーを混ぜてケーキの生地にして、生地の間にこしあんを挟み、くるみをちりばめて焼いたもの。
「ケフィアヨーグルトにバナナ、苺のコンポートをのせ、ナッツやドライフルーツなどをかけたものも美味しいですよ。パンも手作りです。手作りすると、色合いも気にできるし、砂糖や油脂を調整できるのも手作りならではで、おすすめですよ!」

プロフィール

室伏由佳 (むろふし・ゆか)/ 陸上競技ハンマー投 アテネ五輪代表/円盤投・ハンマー投 日本記録保持者

12歳から陸上競技をはじめる。15歳から女子円盤投を初め、1999年、22歳で日本記録を樹立。女子ハンマー投が2000年シドニーオリンピック正式種目となったことから、同年よりハンマー投でもオリンピックを目指した挑戦が始まる。2004年アテネ五輪女子ハンマー投代表に選出。その後、世界選手権2005年女子ハンマー投代表、2007年女子円盤投代表になり2種目で世界大会出場。2010年33才には初のアジア大会ハンマー投銅メダルを獲得。2005年からは原因が特定できない慢性腰痛症に苦しみ、度々歩行困難に。現役終盤になり脊柱管狭窄症が認められ、2012年ロンドン五輪選考会に出場後に手術、そして引退へ。2009年には子宮内膜症の手術も経験し、女性とスポーツの環境についても婦人科専門医とともに啓蒙活動を行っている。
怪我と病気を抱えながらも選手として挑戦し続けた経験から、「スポーツを通し身体を考える」「スポーツの体験から学ぶメンタルタフネス」などをテーマに講演やセミナーなども積極的に行っている。

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