2017年09月11日

私は、私。

コラムをご覧の皆さん、こんにちは。はじめまして。一般社団法人日本LGBT協会 代表理事の清水展人(しみずひろと)です。

性別に違和感を持ちながら過ごした日々

長女として誕生するも性別に違和感

私は、1985年、兵庫県神戸市に長女として誕生しました。幼いころから性別に違和感を持ちながら過ごしていました。小学生時代には、周囲の友人達から、「おとこおんな!」「おかま!おなべ!」といった暴言などを受け、いじめを経験してきました。しかし、高校時代まで誰にも相談することができず一人、悩んで過ごしていました。そんな私でしたが、高校生の時にあるテレビドラマをきっかけに性同一性障害を知り、人生が大きく変わり始めました。体の悩み、恋愛についての悩み、就職や結婚、全てが不安だらけの毎日で、気力・体力ともに、エネルギーを失いかけていましたが、信頼できるパートナーや友人のお陰で、ようやく心を開き、相談ができるようになりました。

性同一性障害との診断と戸籍変更

その後、18歳の時に、両親にカミングアウトしました。当時は、家族もショックを受け、父も、母も、兄弟も混乱していました。悩みながらも家族とともに病院へ行き、その後性同一性障害と診断を受けました。自分自身を受け入れること、他人に心を開くこと、親との葛藤など、社会で自分らしく生きていくことに、息も詰まるほどの悔しさや辛さを感じ、苦しんできました。周囲からの突き刺すような視線や差別的な発言などに苦しみながら、21歳の時に、海外での手術を決心しました。帰国後は、裁判所にて性別と氏名の戸籍変更を終え、戸籍上、男性として生きはじめます。

男性として生きる

男性として生きはじめたものの続いた葛藤

しかし、戸籍変更後も、社会との葛藤は続きました。戸籍が変更していても周囲の理解がなければ、就職活動すらままなりませんでした。その後、懸命に就職活動を行った末、汗まみれになりながら、畳を担いで、畳職人として、頑張るようになります。しかし、それでもなお、悩みは尽きず、本当の自分らしさとは、何なのか、戸籍変更後も悩んでいました。

自問自答し導き出した答えと出会い そして結婚

そんな中、何度も自問自答を行い、人の心に寄り添う仕事に尽きたい、という思いが芽生え、社会人入学で医療専門学校に入学。一から、精神分野を専門とする作業療法士の勉強をはじめました。専門学生時代、一生懸命、勉強に取り組んでいた時に、現在のパートナーとの出会いがありました。性同一性障害についてそれまでコンプレックスを感じながら生きていた私でしたが、彼女の存在は大きく、少しづつ、ありのままの自分自身を好きになっていくことができるようになりました。その後、一筋縄ではありませんでしたが、私の両親からは「絶対に無理だ」と言われていた、結婚も叶えることができました。現在もパートナーと一緒に仲良く暮らしています。

誰もが自分らしく生きることができるように

現在の活動

結婚後は、パートナーと一緒に、私自身が経験してきたことを生かして当事者や家族・パートナー・社会でともに暮らす全ての人がありのまま、自分らしく生きることができるように、という想いで支援活動を行うようになりました。現在は、学校で生徒さんに向けた講演会や、PTA会、行政機関や企業などで活発に啓発活動を行っています。2015年度には、オーストラリアで開催されている、性的マイノリティの祭典、FEAST FESTIVAL(フィーストフェスティバル)にて、日本人として初めてスピーチを行ったり、2016年、2017年には、アメリカにあるLGBT施設に足を運び、様々なイベントやチャレンジを行っています。

声を上げられずにいる身近な性的マイノリティの人々への理解を

性的マイノリティの人々は、血液型のAB型や左利きと同じぐらいの割合で存在していると言われているにもかかわらず、当事者や家族はなかなか、声を上げることができず、あなたの地域、学校や職場で、悩んでいることがあります。誰もがありのままの自分で生きていきたいと願っているはずです。まずは、「知る」ことが、性的マイノリティへの理解の第一歩となるはずです。

これからのコラムで様々なお話をして参ります。どうぞよろしくお願いいたします。