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迷ったらしんどいほうを選べ!そうすることによってより大きなものが得られるから。 No.09 元ラグビー日本代表 大畑大介

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泣き虫の、あかんたれの子どもだった

No.09 大畑大介

スポーツ競技で実績を残した選手は、コーチやスタッフとして競技に携わっている方が多いと思うんですが、私の場合は現役時代から比較的、外側に向けて情報を発信する仕事をいただくことが多く、今は講演活動やラグビーワールドカップ2019アンバサダーとしてラグビーを更に多くの人に知ってもらうために活動しています。

今日は「根拠のない自信を信じろ!根拠はおのずとついてくる」という演題ですが、これは実は私がつくった言葉ではありません。私の妻が私に言った言葉なんです。出会ってから20年以上経ちますが、私は、アスリートとしてまだまだ大成する前から、こう言っていたらしいんです。「オレはすげぇ、オレは天才だ、オレは絶対にトップになるから」と。私自身は、そう言うことで自分にプレッシャーをかけていたんですが、彼女からしてみれば、「なんや、この根拠のない自信は?」と思っていたみたいで(笑)。そう言われて、「あ、オレは周りからこんなふうに思われていたんだ」と気づきました。でも、「オレはできるんだ」と、敢えて人に言うことにより自分を追い込むことが、私のひとつのモチベーションを上げる生き方だったんです。

そもそも、どうしてそんなメンタリティを持ったアスリートになったのか?子どもの時からずっとそうだったわけでもないんです。ラグビーと出会ってから、そういう気持ちが少しずつ、少しずつつくられるようになりました。一般的なイメージではラグビーをやっている子は、幼い頃から力強くて腕力があってやんちゃな子、と思われる方が多いと思うんです。でも、私の場合は正反対で、滑り台の上から降りられないと泣いてしまうような泣き虫の子、大阪弁でいう「あかんたれ」の子だったんです。

人と同じことをしたくない少年が、消去法で選んだのがラグビーだった

生まれ育った町は大阪の城東区。当時、今から30年ぐらい前、大阪の小学校の男の子が始めるスポーツは野球でした。応援するのは当然、阪神タイガース。学校の先生も阪神タイガースファンで前日勝てば、翌日黒板にスポーツ紙が張り出されます。幼心に、野球の話で授業が中止になるのが嬉しかったことを覚えています。でも、タイガースが勝ってみんなが喜んでいる姿を見て、そこに気持ちを入れることができない子だったんですね。どちらかというと、タイガースが負けて、みんなが悔しがってる顔を見るほうが好きでした。

そんな人と同じことはできない子でしたが、みんなをこっちに振り向かせたいという気持ちは人一倍ありました。運動能力だけは自信があったので、運動で自分を大きく見せて、みんなに注目されるようになろうと考えました。そこで、父親が学生時代ラグビーをしていたことや、自宅から花園ラグビー場が近かったのもあり、自然とラグビーを始めました。関西はラグビーが盛んでしたから、野球以外のスポーツをしようと思った中で一番身近にあったのがラグビーだったんです。

「カッコイイ、すげえな」と思ってラグビーに進んだわけではなく、消去法での選択。小学校三年生のとき、大阪で一番歴史のあるラグビースクールに通い始めました。部員数も多く、早い子は幼稚園から始めていたりしますから、私がラグビースクールに入ったときは、そこにはもうすでに子供ながらのコミュニティができているわけです。学校の友達ですら、うまく自分を表現して仲間に入れないのが私。初日は、戸惑いの中で時間だけが過ぎ、練習が始まってしまいました。

最初の練習メニューが、グラウンドの端から端まで、「よーいドン」で走るというトレーニングだったのですが、私はチームの誰よりも足が速かったんです。その瞬間、みんなが私に振り向いてくれました。「君、何してたん」とか、「どこから来たん」と話しかけてくれました。そして、ラグビーをすることが、「大畑大介を表現する武器」であり、「自分と他の人をつなぐコミュニケーションツール」になることに気づきました。本当はみんなと仲良くなりたいし、素直になりたい。でも、うまく表現できない。それが、ラグビーをしているときだけ余計なことを考えずに素直なれて、なりたい自分になれるときでした。まさにラグビーに出会えて自分の居場所を見つけることができたんです。

プロフィール

大畑大介/  元ラグビー日本代表

小学校3年生からラグビーを始め、東海大仰星高校時代に日本代表に選出。京都産業大学へ進み日本代表として活躍後、1998年に神戸製鋼入社し、日本のトライゲッター、エースとして活躍、世界にその決定力を印象づけた。2001年、オフシーズン中にオーストラリアのノーザンサバーブ・クラブでプレー。2002年にはフランス・モンフェランに入団を果たす。2003~2004年にラグビートップリーグの神戸製鋼コベルコスティーラーズに復帰すると、日本代表キャプテンを務めるなど日本ラグビーの牽引者として、W杯に2度(1999年、2003年)の出場を果たした。2度のアキレス腱断裂を経験するが、「為せば成る!」の不屈の精神で、代表試合トライ数世界新記録を樹立、その記録を69トライまで伸ばす偉業を達成。その卓越した運動能力はラグビーに留まらず、スポーツ界全体でも高い評価を受けており、TBSテレビ系「スポーツマンNO1決定戦」では、他のスポーツ競技の有名選手と競い2度の優勝を成し遂げている。2011年に引退。現在はラグビーの普及やラグビーを通じた人材育成、またラグビー協会と共に2019年に日本で開催されるW杯ラグビーを成功させるべくアンバサダーとして、メディア、講演等で精力的に活動中である。また、2012年より追手門学院大学地域文化創造機構の客員特別教授に就任し、スポーツを通じた人材育成や街づくりに関する活動にかかわりながら、特に「女子ラグビー界の秋元康」(自称)となるべく、同大学の女子ラグビー部のプロデューサーとして、五輪選手の輩出を目指し活動している。 私生活では2児の父親として積極的に育児に関わり、2011年度「ベストファーザー in 関西」を受賞するなど、育児、教育も熱心に行う。米国のメジャーリーグで活躍中の上原浩治選手と建山義紀選手の二人は、東海大仰星高校時代のクラスメイトである。

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