No.08 野村忠宏 / 読む講演会 クローズアップパートナーNo.08 野村忠宏 /“読む講演会”クローズアップパートナー

弱かった自分は、なぜ強くなることができたのか No.08 元柔道五輪金メダリスト 野村忠宏

TEL
MAIL

ご相談は無料です。

03-5422-9188 電話受付時間 月~金 9:30~18:30

ご相談はこちら

業界15年、実績2万件の中で蓄積してきた講演会のノウハウを丁寧にご案内いたします。趣旨・目的、聴講対象者、希望講師や講師のイメージなど、お決まりの範囲で構いませんので、お気軽にご連絡ください。

再びチャンピオンになるには、同じことをしてはダメ

そうしたら半年後、全日本の学生チャンピオンになった。大学1年生の時、関西大会すら出場できなかった自分が、大学2年生では関西大会にも出場して、関西大会で勝って、全国大会で優勝したんです。同時にもう一つ要因があるとすれば、子どもの時に自分の心の支えになった背負い投げという技が、大学生になってやっと得意技として試合で通用するようになったことです。まわりには器用な選手はいっぱいいました。いろんな技を器用にこなす。でも、結局いろんな技を器用にこなす選手というのは、上位には行くけど、トップにはなれないんです。自分はその頃に背負い投げがやっと武器になってきて、それで大学4年の時にオリンピックの代表権を得て金メダルを獲ったんです。

1回目のオリンピックは、2回目3回目のオリンピックよりも気持ちは多少楽でした。誰にも期待される選手じゃなかったから。

ただ、そこから大きな変化があったんです。オリンピックの金メダリストになったことです。今までは無名な存在として、ノーマークだった。でもオリンピックで優勝したことで、金メダリストという肩書きを背負ってチャレンジしなくてはいけなくなった。1回目のオリンピックは、ほとんど背負い投げで優勝したんです。そこは研究されますから、自分の柔道を変えていかなきゃいけない。最初にしたことが技の幅を広げることでした。しかも時間を掛けずに技を広げなきゃいけない。いろんなチャレンジをしました。その結果、アトランタの時よりも、明らかに強くなっていきました。

最も苦しかった3度目のチャレンジ

No.08 野村忠宏

アスリートには寿命があると言いました。20代後半から勝てなくなる。それは現実でした。シドニーの時が25歳。2連覇しました。でも、20代前半ぐらいから、引退の時期は考えていくんです。いつぐらいに引退するか、どういうタイミングで引退しようか、と。自分にとってベストなやめ時、引退の時は、シドニーオリンピックでした。引退には節目があります。大きな節目が4年に一度のオリンピックです。シドニーオリンピックの時に引退しなきゃ、次の引退する節目は、29歳のアテネオリンピックです。

25歳のシドニーの頃は、常識的に考えて30歳前後でオリンピックチャンピオンになるのは、考えられなかった。

でも、2年かけてチャレンジする道を選ぶんです。今しかできないことって何だろう。自分にしかできないことって何だろう、と考えたんですね。引退して指導者になる道も、もちろん素晴らしい。でも、これはまだ先でもなれる。今しかできないのは、現役選手としてのチャレンジでした。そして何より自分にしかできないことがあった。オリンピック3連覇へのチャレンジです。ただ、2年間柔道を休んだブランクは、ものすごく大きい。見えないものにチャレンジする怖さもある。特にチャンピオンになった人間は、負ける姿を見せるのが、ものすごく嫌なんです。でも、そういう自分の気持ちから逃げるんじゃなく、向き合っていこうと現役復帰を決めるんです。

帰国して厳しい練習を再開して、試合で勝てる自分を作っていきました。ところが、出る試合、出る試合、負け続けた。全く勝てなかった。負け続けることによって、そういう柔道ができなくなったんです。負けないための柔道、投げられないための柔道をしようとしていた。腰を曲げ、頭を下げ、逃げるような柔道。これしかできなくなったんです。自分の強さって何だったんだろう。負けることもあったけど、負けることで自分の弱さを改めて知って、その弱さを受け入れて、その弱さを乗り越えるための努力をして、その弱さを乗り越えていった。負けを活かせる人間だったことなんです。その自分が、変わってしまった。試合が終わったあとには、惨めさしかありませんでした。ものすごく苦しい時期でした。初めて柔道して円形脱毛症にもなりました。とことん柔道も嫌いになりました。現役復帰を間違えた選択だと思った時期もあった。それが、アテネオリンピックの1年4カ月ぐらい前でした。

1年後に自分がアテネオリンピックの代表の座を勝ち取るためには何をしなきゃいけないのか、考えました。自分が変えなきゃいけないのは、心でした。負け続けているくせに、どこかに俺は二連覇した野村だ、格好良く勝たなきゃいけないんだ、一本勝ちしなきゃいけないんだという格好つけのプライドがあった。そのプライドが自分の柔道を弱くして、自分の柔道を小さくしていた。ブサイクな柔道してもいい。その代わり、今持ってる力をもう一度出し切ることから始めよう。そこをしないと、俺にはアテネはないな、と思いました。まわりから笑われたし、惨めな目で見られたけども、自分の柔道を一度変えてガムシャラにやり始めたんです。自分の心を変え、改めてチャレンジをしたんです。一年後に強い自分を取り戻すため。そういうチャレンジをすることによって、ちょっとずつまた自分の強さが取り戻せていった。そして一年後に自分はアテネオリンピックの代表の座を勝ち取ったんです。

プロフィール

野村忠宏/  元柔道五輪金メダリスト

柔道家。1974年奈良県生まれ。祖父は柔道場「豊徳館」館長、父は天理高校柔道部元監督という柔道一家に育つ。アトランタ、シドニー、アテネオリンピックで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック三連覇を達成する。その後、たび重なる怪我と闘いながらも、さらなる高みを目指して現役を続行。2015年8月29日、全日本実業柔道個人選手権大会を最後に、40歳で現役を引退。ミキハウス所属。

クローズアップパートナー一覧へ戻る

ご相談は無料です。ご連絡はお気軽に。

業界15年、実績2万件の中で蓄積してきた講演会のノウハウを丁寧にご案内いたします。趣旨・目的、聴講対象者、希望講師や講師のイメージなど、お決まりの範囲で構いませんので、お気軽にご連絡ください。

TOPに 戻る