北海道大学卒業後、日本航空へ入社。
日本アジア航空への出向、日本航空空港本部等を経て、
1999年から3年間、初代危機管理部長に就任。
その間、全日空ハイジャック事件(1999年)、米国同時多発テロ(2001年)が惹起、
また、日韓共同開催のワールドカップ(2002年)も行われたため、
様々な安全対策、危機管理対策を構築し、対応した。
大きな危機に繋がる可能性がある現場の小さな問題を
見逃さないための施策を考案した経験から、
危機管理対策について講話する。
ご相談は無料です。
業界21年、実績3万件の中で蓄積してきた講演会のノウハウを丁寧にご案内いたします。趣旨・目的、聴講対象者、希望講師や講師のイメージなど、お決まりの範囲で構いませんので、お気軽にご連絡ください。
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経歴
- 1972年
- 北海道大学経済学部卒業
日本航空入社 - 1988年
- 日本アジア航空出向、台北支社勤務
- 1997年
- 日本航空空港本部、政府専用機ハンドリング実施
- 1999年
- 日本航空危機管理部長に就任
- 2002年
- 関連会社JALエービーシーに出向
- 2005年
- JALエービーシー社長に就任
- 2007年
- 退職
- 2009年
- 千葉科学大学非常勤講師
主な講演テーマ
企業の危機管理
企業の危機管理
日本航空の初代危機管理部長(1999年~2002年)などを経験したことから、
企業の危機管理についてお話しします。
<概要>
○全日空ハイジャック事件(1999年)
犯人は機長をナイフで殺害し、自ら操縦席に着き、レインボーブリッジの下をくぐろうとしたが、結局取り押さえられた。予め犯人は実名でハイジャックの方法を航空各社、警察、空港ビルに手紙で予告していた背景や、事件後、航空保安対策、社内の危機管理体制を構築した経緯について。
○世界同時多発テロ(2001年)
米国上空を飛行中のJAL機は全て他国(カナダ、メキシコ)に緊急着陸をさせられた。その対応と飛行再開の安全性についての決断をどのようにしたか。
○日韓サッカーワールドカップ(2002年)
日本・韓国で行われたサッカーのワールドカップ期間中にフーリガンが押し寄せることが考えられる中、航空機運航の安全対策をどのように実行したか。
その他、「航空機に爆弾を仕掛けた」などの脅迫に対しての対応など。
主な実績
講演実績
国土交通省航空局/その他多数
講演料金目安
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