| 1964年 |
イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加し、
時速172.084の世界新記録樹立。 |
| 1966年 |
映画「富士山直滑降」にて、富士山直滑降
(スキー界で初のパラシュートブレーキを使用)。 |
|
オーストラリア大陸最高峰
Mt. コジアスコ(2,245m) 滑降。 |
|
ニュージーランド政府より招待、タスマン氷河等を滑降。 |
| 1967年 |
北米大陸最高峰 Mt.マッキンレー(アラスカ
6,194m)を滑降。 |
|
映画「スキー野郎氷河大滑降」にて、ニュージーランド・タスマン氷河滑降。 |
| 1968年 |
メキシコ最高峰、ポポカテペトルの初滑降樹立。 |
| 1969年 |
南米パイネ山の初滑降樹立。 |
|
日本エベレストスキー探検隊を編成し、隊長としてエベレスト偵察。 |
| 1970年 |
映画「エベレスト大滑降」にて、アジア大陸最高峰
Mt.エベレスト、サウスコル8,000m世界最高地点 スキー滑降(ギネスブックに載る)。 |
| 1971年 |
スペイン山岳会より招待。スペイン・スポーツ英雄大賞受賞。
スペイン山岳会名誉会員となる。 |
| |
世界山岳探検会議の特別会員となる。 |
| 1972年 |
第1回アラスカ少年少女探検学校校長としてアラスカへ
(以後 1984年まで毎年8月アラスカへ)。 |
| 1975年 |
カナダ、トルード首相より家族6名招待。カナダの山々を滑る。 |
| 1976年 |
映画「THE MAN
WHO SKIED DOWN EVEREST」が、長編記録映画部門でアカデミー賞を受賞。各国語版に翻訳され、現在も世界各国で上映されている。 |
|
アメリカ、ワシントン州名誉市民となる |
| 1977年 |
南極でスキー滑降。
南極大陸遠征記録映画でニューヨーク映画祭ゴールデンイーグル大賞を受賞。 |
| 1978年 |
北極圏最高峰バーボーピーク(2,604m)滑降。 |
| 1981年 |
アフリカ大陸最高峰Mt.キリマンジャロ、タンザニア(5,895m)、
親子3代での登頂及びスキー滑降に成功。 |
| 1983年 |
南極大陸最高峰
Mt.ビンソン・マッシフ(5,140m)、登頂及びスキー滑降。 |
| 1984年 |
フランス「国際探検映画祭」の審査委員。
さらに今までの功績を認められ、「冒険探検特別賞」を受賞。 |
| 1985年 |
ヨーロッパ大陸最高峰Mt.エルブルース、
ソ連(5,633m)登頂及びスキー滑降(家族で挑戦)。 |
| |
南米大陸最高峰Mt.アコンカグア、アルゼンチン(6,959m)登頂及びスキー滑降。長男、雄太との親子チャレンジに成功。この成功により、世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成した。 |
| 1987年 |
日本プロスキー連盟設立、会長となる。 |
| 1990年 |
(社)日本職業スキー教師協会(SIA)の顧問に就任。 |
| |
日本プロモーグルスキー協会の会長に就任。 |
| 2000年 |
ヒマラヤゴーキョピーク
(5,360m) をクラーク国際高等学校の高校生5名を連れて登頂。 |
| 2001年 |
4月
ヒマラヤ メラピーク(6,476m)へ登頂及び山頂直下よりスキー滑降。また遠征に同行したクラーク国際高等学校の大矢洋(17歳)は同山峰と日本における最高標高登山の最年少記録を樹立。 |
| 2001年11月 |
ヒマラヤアイランドピーク(6186m)登頂。 |
| 2002年4月 |
ヒマラヤパルチャモ山(6187m)登頂。 |
| 2002年5月 |
世界第6座 ヒマラヤ チョー・オユー山(8201m)を次男豪太とともに登頂。当時の8000メートル峰登頂世界最高年齢記録(69歳6ヶ月)。 |
| 2003年5月22日 |
世界最高峰エベレスト山(8848m)、次男豪太とともに登頂。エベレスト登頂最高年齢記録(70歳223日)及び、日本人初親子同時登頂記録を樹立。 |
2003年 |
上記功労により:青森名誉県民賞、北海道功労賞、内閣総理大臣表彰、
フランス政府スポーツ青少年功労賞金賞、ネパール王国叙勲 他 − 受賞 |
| 2004年3月 |
父(敬三)100歳、子供たち、及び孫(里緒5歳、雄輝1歳)の100歳から1歳の親子で、
アメリカのロッキー山脈をスキー滑降 |
| 2006年5月 |
次男、豪太とともに世界第14座 ヒマラヤ シシャパンマ山(8027m)へ遠征。標高7000メートルまで登攀し、2008年のエベレスト(チョモランマ)挑戦へ向けてのコンディショニング・トレーニングを行う。 |
| 2008年5月 |
世界最高峰エベレスト山(8848m)の登頂に成功(2回目)。 |