■経歴
1978年
神奈川県中学総合体育大会 サッカーの部 優勝
神奈川県中学総合体育大会 陸上競技 棒高跳 優勝
市スポーツ賞受賞
1979年
全国国民体育大会 入賞
1980-1981年 連続
市よりスポーツの活躍を表彰される
陸上競技 棒高跳 神奈川県高校記録樹立
神奈川県総合体育大会 陸上競技 棒高跳 優勝
1981年
棒高跳練習中落下、第5頚椎を損傷その後車椅子生活になる
高校 休学 リハビリテーションを始める
1982-1986年
車椅子にて復学、卒業
車椅子で棒高跳びコーチを経験
高校卒業後、再リハビリテーション、職業リハビリテーション
1986年 就職
1990年 結婚
1992年 全国身体障害者スポーツ大会 山形大会 ビーンズバック投げ銀メダル
1996年
神奈川県福祉政策課より県、初の試みで「<漫画>にしたい」と要請有「漫画」完成
TVKテレビ 「話しの市場神奈川」出演
1998年
長男、長女、次女 3つ子生まれる
全国身体障害者スポーツ大会 神奈川大会 ビーンズバック投げ銀メダル
2001年 NTVテレビ 「24時間TVチャリティリポート」出演
2004年 フジテレビ 「奇跡体験アンビリバボー」再現ドラマ化
2005年
処女作「負けてたまるか」を出版、作家デビュー
NTVテレビ 「ザ・ワイド」再現ドラマ化
2006年
著書「負けてたまるか」を絵本化し出版、絵本作家デビュー
月刊「ゆたかなくらし」でコラムの連載が始まる
その他取材多数、講演実績は過去300以上多数
■主な講演テーマ(20種類)
「困難を乗越え強く生きる」 〜人と人助け合う心、人間として最も大切なこと〜
私、昭和56年に棒高跳びにて首の骨を折り、車椅子生活をしております。
足はもちろん、手も自由には動かず、手の指も動かない1種1級の重度障害者です。当時、私は高校3年生でした。
神奈川県棒高跳び高校記録を樹立し、新聞などで記録への期待をされていましたが、
運悪く神奈川県総合体育大会の練習中に落下、首の骨を折り、車椅子の生活となってしまったのです。
怪我をしたショックから、立ち直ることの出来ない私は、重度障害者として生きる希望も無く、
自殺を考える毎日だったのです。しかし、そんな私も今では妻と3つ子の父親です。家族を養えるほどに立ち直りました。
それも、妻を含め色々な人々が私に手を貸してくれたおかげです。
私は講演を通して、寝たきりから立ち直ることの出来た自分の姿を多くの人に見てもらたい。
そして、皆さんに何かを感じてもらえたらと願います。
結婚の承諾の時、妻の父に言われました。
「濱宮くん・・・人間は身体が不自由な事よりも、心が貧しい方が問題だよ・・・」
「今の世の中そういう人間が多いじゃないか。その方がよっぽど問題だよ・・・」
それでは、ここで皆さんに当てはめてみて下さい。
心が不自由って何ですか? 心が貧しいって何ですか?
「自分勝手、暴力、使いっぱしり、いじめ、いやがらせ、社会的ルールを守れない・・・」
あなたは心が貧しくありませんか?
・・・と、この話をすると、必ず、ドキッとする人がいるんです。
これをお読み頂いている方の中にもドキッとした人がいるんです。
皆さんは、「体が不自由な私をかわいそう」と思ったと思います。
しかし、皆さんの中には「もっとかわいそうな心が貧しい人」がいるんです。
「今を自分らしく生きる!」 〜短所は長所なり!考え方を変えましょう〜
皆さん、顔の前に「握拳」を出してみて下さい。
皆さんから見た「握拳」、相手から見た「握拳」、そして、横から見た「握拳」。
あなたのたったひとつの「握拳」でも、見る角度を変えるだけで色々な形に見えます。
そして、今度は隣の人の「握拳」を見て下さい。
「握拳」ひとつでも、「大きいのやら、小さなもの」、色々な握拳があるんです。
物を見る時、考える時、ひとつの物を一定方向からだけ見るのでなく、多方面からも見ること、
「物事を固定観念にとらわれず、柔軟にとらえる考え方」が、
「物作りや人間教育、ビジネスシーンや生き方に必要」なのです。
いつまでも短所の自分をくよくよ見つめず、短所を違う方向から見るのです。
ほらっ長所に変わったでしょ! 今を自分らしく見つめる考え方が大切なのです。
「昨日を悔やまず、今日を大切に、明日に前向きに生きる」
私から皆さんへこの言葉をお伝えします!
「家族愛」 〜母子家庭から得た家族愛、3つ子からもらった家族愛〜
子供達は・・・
指も動かず何もしてあげられない私のことを「パパ」と言って抱きついてきてくれます・・・
あなたにとって・・・ 「家族ってなんですか?」「家族の幸せって何ですか?」
どんな人間であれ・・・ 彼等にとっては「この世にたった一人の父親」なんです・・・。
指が動かない私は、薬を飲ませるとき、袋を口で銜えて、
そしてそれを子どもが手に持ち、引っ張って封を開けてもらいます。
男の子に薬を飲ませるとき、薬が、ふとした瞬間、テーブルの上に溢れてしまいました。
(あっこぼした・・どうするかぁ。)と一瞬考えました。
私は不可抗力を理解してましたが、子どもを叱りました。「おい!何こぼしてんだぁ!」それはそれはすごい剣幕です。
子ども達は凍り付いていました。私は続けます。「おい!薬をなんだと思っているんだ!」とすごい顔だったと思います。
「舐めろ!このテーブルの上の薬をすべて舐めろ!」私は心が痛みました。しかし続けました。
子どもは驚きと共に必死に舐め始めました。私はその後姿を見て、こみ上げる涙を必死にこらえました。
(なんて残酷な、俺は何をしているんだ!)私の心と葛藤です。そしてその後私はこう言いました。
「パパは今までこんな事させたことないよな。でもね。いいかい、薬はそれだけ大事な物なんだよ。
苦くても、まずくても、絶対に飲まなければいけない。それだけ大切なものなんだよ。」
その後、子ども達に頬を摺り寄せ「ごめんな。解ってくれてありがとう・・・」そう言いました。
その後、子ども達は真剣に薬を飲むようになりました。
手の指も動かない重度障害者のパパ。 車椅子で頑張って育児に参加しています!
「非行に走らせない親の後姿」 〜子供たちは親の後姿を見ています〜
私は5才の時に父を無くしました。母子家庭生活の中で非行に走る機会が沢山ありました。
中学生になると周囲にはタバコ、万引き、暴走族に参加する友達がいました。
私はその友人達に誘われても非行に走る気になりませんでした。
それは何故でしょう?
それは、「私達を生かせる為」に女手ひとつで「必死に働く母の後姿」を見て来たからです。
「この人を悲しませてはいけない、苦しめてはいけない。」という気持ちがあったからなのです。
「必死になって働く親の後姿」これが一番の影響を与え、一番のしつけになるのではないでしょうか?
あなたは子供達に必死になって育てている後姿を見せていますか?
胸を張って見せられますか?
「障害を超えて!車椅子パパ奮闘記」 〜車椅子から見た世界〜
皆さんは介護される側の気持ちを知っていますか。
あなたがこの「人だけには介護されたくない」と思われているとしたらどうしますか?
PT、OT、医師、ナース、看護スタッフの役割とは?
医療スタッフの心構え、ボランティアの心構え、介護を受ける障害者の心構えとは?
妻の出産後の入院中の話。帝王切開後、貧血、他症状が悪く、しばらく入院したんです。
子どももNICU。私も自力でのお見舞いが難しく入院をお願いし、その病院は承諾してくれ、家族全員で入院したんです。
笑えますね。でも、私は必死。私は病室から妻と子どもへの見舞い。そんな生活を2週間。
ある夜の事です。私は歯を磨いていました。古い病院で車椅子の設備なく、洗面に四苦八苦しながら、
しかし自力で歯を磨いていました。まっ自力で出来るので当たり前です。
すると・・、私の隣で歯を磨いていた初老の男性が私に向かい、「そんな事、看護師に頼んでやってもらえば良いんだよ。
それが看護というものだよ」と助言。私は(はぁ!?)と思いつつ、「でも、自分で出来る事ですから・・」と答えました。
その方の優しさからの助言かも知れませんが、ちと、違うのでは? こういう人多いんですよ。
「ちょっと頑張れば自分で出きる事でも手伝ってもらう事が看護」と「勘違い」自分で出来る事は自分でやるんです。
大変そうに見えても私は自力で歯を磨けるんです。だから手助けは不要。
「自分が出来ない事を手伝ってもらう」それが、看護であり介護なんです。
「頑張れば自分で出来る事、それまで手伝ってもらう事」は「甘え」というんです。
「ボランティアに助けられた人生」 〜助け合う気持ち、住みよい町への第一歩〜
怪我をした時は大変でした。 落下した直後に手も足も動かなくなってしまったのです。
ショックから、立ち直ることの出来ない私は、重度障害者として生きる希望も無く、自殺を考える毎日だったのです。
そんなある時、高校の先生からこう言われました。
「おまえ、コンピュータの勉強をしないか?」
重度障害者の私には自力で通う事が出来ません。しかし、ある時、思いついたのです。
「そっ!そうだ!!ボランティアを探そう!」
私は一人大声をあげていました。 私の事を送迎してくれる人を探すことに思いついたのです。
とは言え、何をどのようにしたら良いのか。誰に、又、何処に相談をして良いのか、皆目検討もつきませんでした。
私は、とりあえず、ポスター、チラシを作りました。そして、色々なところにポスターを貼ってもらえるようお願いしました。
チラシも作り配りました。TV局、ラジオ局、新聞社、車椅子の国会議員にも手紙を書きました。
(どうしよう見つからない・・・)。それでも、私は必死に探しました。
社会福祉協議会にも行きボランティアを探してもらいました。
しかし、一向に見つかりません。そんなある時、一人の男性が名乗りをあげてくれたのです。
その方の思いやりから家族を養う今の私が存在するのです。
あなたの小さな手でも一人の人間の命を救える事を知って欲しいと思います。
思いやり、助け合い、人間としてもっとも大切な事ではないでしょうか?
皆で助け合えるそんな住み良い町にしたいものです。
車椅子から見た世界。
身体が不自由になって初めて気づくものが数多くあります。是非、あなのた町の街づくりにも活かせて下さい。
「優しさに包まれて」 〜ボランティアに支えられた夫婦〜
結婚をして3年目、妻の舌腫瘍が発見されました。癌であれば舌を切除せねばならぬ妻。
何もしてあげられない私は、自分自身の生き様で彼女を応援する事にしました。
インターネットの無い時代、私はパソコン通信の掲示板に書き込みました。
「私は、身の回りの事を自力では何も出来ない重度障害者です。
私の世話をしてくれている妻が、近々舌腫瘍の為に入院をします。
彼女は舌を切除するかも知れません。きっと、苦しい入院生活となるでしょう。」
「私は、そんな妻を応援する意味でも、何も出来ない私自身が、独りで生活をしようと思います。
車椅子から落ちたら、起き上がれないでしょう。独り暮らしでは、死ぬかも知れない。」
「そんな私ですが、自分自身の頑張りを見せて、妻を励ましたい。
俺も頑張るから、お前も頑張ってくれ!普通に仕事をして、見舞いもしてみせたい。
どなたか、就寝の準備やお風呂など、手を貸してくれませんか?」
「皆さん、お願いします!」
沢山の応援メッセージを頂きました。私は泣きながら返事を送りました。
こんな私に・・・、多くの方がボランティアとして名乗りでてくれたのです。
ボランティアに支えられた夫婦。 優しさに包まれて・・・。 人の優しさをあなたに伝えたい。
「心のバリアフリー」 〜今、子供達が求めている話〜
姪っ子を連れ、あるテーマパークへ行きました。
パレードを観ることになり、その前に車椅子マークの付いたトイレへ・・・。すると、そこには、行列が・・・。
先頭の女性は、そう、23〜27才位の方でした。すごく、気まずそうな顔をして、「どうぞ・・・」と譲ってくれました。
私は「ごめんなさい。」と謝って譲って頂きました。
すると・・・、中に入ろうとした瞬間、列の後方から小学校4年生〜中学1年生位の女の子が、
「えっーずるいー」と叫んだのです。
先日、神奈川県のリハビリ学校で講演をさせて頂いた機会があり、先生に確認してみました。
すると、車椅子マークとは、今の日本では、「専用」ということでした。
それでは、ここで皆さん考えてみてください。
1.テーマパークは、そのトイレに車椅子のマークをつけています。
2.車椅子のマークについて、今の日本では「専用」ということです。
3.車椅子というのは横幅が広く、通常のトイレは使えず、そこしか使えません。
4.そのトイレの横には、普通のトイレが男女用ありました。
5.車椅子トイレには、行列が出来ていました。
6.私は、先頭の方が譲ってくれたので、謝って入りました。
7.その瞬間、小学校4年生〜中学1年生位の女の子が「えっーずるいー」の声。
果たして、私のとった行動は正しかったのでしょうか?
正しくなかったのでしょうか?
私は、今でも時々考える時があります。自分の行動は正しかったのか?否か?
・・・と、この話を皆さんにした時、90%が「正しい」と言います。しかし、残りの10%の中の7%は、
「分からない。なぜなら、その女の子が車椅子の人の事を知っていたら、きっと言わなかっただろう!
私達は、学校でも、どこでも、そういう事は教わらない。だから、どちらも間違えとは言えないと思う。」と、
とても頭の良さそうな奇麗な字で書いてくれます。
残り、3%の人は、1行の殴り書きで、「平等にして欲しいのなら、どんな状況でも待て!」です。
私は、この頭の良さそうな奇麗な字の7%が、「するどい事を言っているのかな?」と正解だと思っていました。
しかし、ある日、この話を人に話したら、
「濱宮さん、今の日本も捨てたものじゃないねぇ。だって、まともな考えの子が90%いたじゃないですか。
教わらなきゃ判らないなんて問題外ですよ。」だって。
この話に頂いた感想文を記します・・・。
「分からない。なぜなら、その女の子が車椅子の人の事を知っていたら、きっと言わなかっただろう!
私達は、学校でも、どこでも、そういう事は教わらない。こういう話は多くの人が聴いたほうが良い!」
(中学生の感想から)
「私達の知らない話ばかりで 国語や算数、理科よりもまず人として最低限知らなければならないことを学んだほうが
よっぽどすばらしい人間になれるのではないかと感じました。多くの人に知ってほしい。多くの人が聴いた方が良い。」
(一般・社会人感想から)
上の女の子の感想文には続きがあります。
「こういう話は多くの人が聴いたほうが良い!この話は濱宮さんしか出来ません。
身体が不自由で大変だろうけど、頑張って多くの人に伝えて!」
この感想に後押しされ、講演を全国展開したのです。
さて、この話の続きは長くなるので講演にて。
「夢がかなったよ。」 〜文章嫌いのボクが本を出せちゃった!〜
怪我をした当初から、周囲に本を書くことを勧められていました。
私は「文才無いから書けませんよ・・・」と拒み続けていました。
20年の時が過ぎ、自分の人生を残したく、本を書くことを夢見ました。文才の無い事は置き去りにして・・・。
しかし、そう容易く本は出せません。
「そうだ!1社に連絡しても断らるだろう!出版社50社に連絡してみよう!」
そう思い、何社も何社も連絡をしていました。
そして、ついに・・・著書「負けてたまるか!」が出版されたのです。
私は、出版する事で「2つのある事に気づき」ました。
文章を書くことが大嫌いだった私・・・。 しかし、そんな人間でも出版する事が出来た。
理由のひとつは、「人に頼らず自分自身で行動を取ること。自分で本を出そうと決めた事。」
つまり、キチンと目標を持った事。
そして、もうひとつは、「自分で自分に<文才が無い>と限界を作って諦めていた事。」でした。
そして、出版を機に二度も再現ドラマ化されたのです。
きっと1社に断られて落ち込んでいたら「負けてたまるか!」は世に出ず再現ドラマかも無かったはずです。
文才が無いと決め付けていた私・・・。文章を書くことが大嫌いだったはず・・・。絵が下手で画けないと決め付けていた。
2006年3月、月刊誌のコラムを開始、そして、同時期に「負けてたまるか!」が、絵本としても世の中に誕生する!
いつの間にか、作家、絵本作家としてデビューしていました。
皆さん! 自分で限界を作らず、自分自身で諦めずに壁にぶち当たれ! 俺、夢がかなったよ。
「誤った心のバリアフリー」
今、皆さんの前に先天的な障害をお持ちの方がいるとします。
その方はいつも明るく素敵な笑顔の持ち主です。きっと皆さんはこう言うでしょう。
「産まれつき障害があるのに明るくて偉いわね。」
ズバリ!ここが誤った心のバリアフリー。
先天的な方は、障害を負った経験がありません。つまり「障害を負う」と言う人生の修羅場を経験した事が無いのです。
障害を負うと言うギャップを経験した事が無い分だけ、とても明るいのです。つまり、もともとの性格なのですね。
突然、車椅子生活になってしまう事は不幸の何ものでもありません。
しかし、産まれつき車椅子に乗っている場合、本人は不幸と言うものを感じず成長します。
ギャップ経験が無いので当たり前です。
周囲が障害者と言うまで、または周囲と違う自分に気付くまで障害を認識できないのです。
先天的な方は「障害とは不幸では無く、不便である。」と、平然と言えるでしょう。
しかし、中途障害の方は「障害とは不幸であり、不便である。」と、痛感しています。
これをお読みの皆さんも障害を負ったことが無い人がほとんどでしょう。
先天的な障害の方は皆さんと同じく障害を負った経験がありません。
つまり、腕が短くても変形していても、それは個性。皆さんが背が高い低い、それと同じ個性なのです。
それが正しい見方。先天的障害は個性と思ってあげて欲しいのです。
しかし、中途障害の方は個性ではありません。
時折、親しみをこめて「障害は個性ですよね。」と言う健常者の方がいらっしゃいますが、答えは「ノー」です。
なぜなら自由に動き回れる身体を知っている中途障害者にとっては、個性では無く「障害」なのです。
「個性」と「障害」 皆さんは誤った心のバリアフリーで接していませんか?
「しっかりせぇ!日本の福祉教育」 〜誤った心のバリアフリーは、もう止めよう!〜
もうひとつの誤った心のバリアフリーを知って下さい。
それは、「軽度な障害者」と「重度な障害者」の違いです。
簡単に言うと、障害を負っても「自立出来るか、出来ないか」の違いです。
つまり、「身の回りの事が自分で出来るように快復した(または、快復出来る)障害者」と
「人の手を借りなければ生きて行けなくなった障害者」の傷心の度合いの違いです。
快復した障害者は、自分の意思で自由に動き回れます。つまり、元の自分を取り戻せた、あるいは、近づけたのです。
しかし、介助が必要になった障害者は、自分の意思で自由に動き回れなくなります。
元の自分とは、程遠く、取り戻せていません。
障害にはレベルがあり、傷心の深さが異なるのです。しかし、障害レベルは運命です。仕方ありません。
「濱宮さんは、いつ立ち直れたのですか?」と、尋ねる人がいます。
私は答えます。「障害を持ち、健常者では見えなかった世界や人の心を知る事が出来ました。
それは、障害と同時に得たものかも知れません。しかし、得る必要の無いものかも知れません。
障害を持った体に慣れたかも知れませんが今も立ち直っているか分かりませんよ。」
そして、付け加えます。「もし、私のように人の手を借りなければ生きていけない重度な障害者で、
<心の底から立ち直った>と言う人がいれば、その人はウソつきですよ。格好つけているだけですよ。」
いつ、どこでウンコやおしっこが漏れるか判らない体。
人に手を借りなければお風呂にも入れず、尿の管理、床ずれの管理。
何一つとっても楽はありません。自分の全裸をさらけ出し、着替えをさせてもらわねばならない体。
健常な体の素晴らしい事は言うまでもありません。
「明るく振舞い、立ち直ったように見える障害者」は沢山います。
そうすると、健常者に「障害があるのに、明るくて偉い!」と褒められるのです。
ズバリ!ここが誤った心のバリアフリー。
健常者は、障害者が明るく振舞うと「明るくて偉い」と、騙されてしまうのです。
その裏には、「障害のレベルにより失ったものの大きさの違い」、それによって「立ち直りの頻度が異なる」と言う事が、
置き去りにされるのです
。障害者を見る上で「身の回りの事を<自分で出来るか、否か>」と言うことは、とても大きなキーワードなのです。
皆さん、自分に当てはめて考えて下さい。
●「自由に移動が出来て、ウンコやおしっこ、お風呂が自分で出来る体に快復した。」と、
●「移動も出来ず、ウンコやおしっこ、お風呂、人に手伝ってもらわねばならない体になってしまった。」を。
「軽度障害」と「重度障害」、「自分で出来るか、否か」、「傷心の度合い」是非、新たな視点で見つめて下さい。
そして、「福祉教育」、「思いやり教育」は、出来る限り「何も出来ない重度な障害者」の視点で見て下さい。
いや、見るべきなのです。そういう人々が快適に暮らせる世の中こそが、
誰もが暮らしやすい本当のバリアフリーなのです。
社会では、「先天的障害」、「中途障害」、「軽度障害」、「重度障害」を、「身体障害者」と、ひとつにまとめますが、
幅が広く、奥が深いのです。 是非、この機会に正しい見方を身に付けて下さい。
また、多かれ少なかれ、「健常者と同じ動きが出来ない」と言う点では、
皆共通のハンディを持っている事は言うまでもありません。
「輝いてあなた、格好の良い生き方をしよう!」 〜誤った心のバリアフリーから〜
皆さん、こんな事を見たり、聞いたりした事はありませんか?
「障害を持っていても何でも出来る!」、「障害を持ってしまっても障害を持つ前と変わらない!」
こういうメッセージを見て、感動された方も少なからずいらっしゃるのでは、ないでしょうか?
ズバリ、ここが誤った心のバリアフリー
こういう事を言う人は、「障害を詳しく知らない人」か「障害者で格好をつけている(自分にウソをついている)人、
または、今の自分を中心に見て、本当に重度で苦しむ障害者の気持ちを理解していない人」が多いようですね。
分かりやすく私の障害で説明しましょう。
私の障害は脊椎損傷。もっと詳しく言うと、脊椎の中の頚椎を損傷しました。
運良く歩けるほどに快復する人もいれば、手の指が動かなくなる人、胸から下が麻痺する人、
肩と頭しか動かなくなる人と、運命の過酷さを痛感します。
もちろん、歩ける人意外は車椅子で生活するようになります。
さて、それでは考えて見て下さい。
足だけが動かなくなった人、この人たちはスポーツも出きれば、車の運転も就労も可能です。
では、頭しか動かなくなった人はどうでしょう? スポーツをする事が出来るのでしょうか?
車の運転や就労が可能でしょうか?
答えは「ノー」、「出来ません」が正解です。
つまり、障害を持つという事は、「出来ない事が発生してしまう」という事なのです。
スポーツをする事が出来る人は、障害を持った中でも、
「自立できる障害で運の良い人」と「環境に恵まれた人」なのです。
そうでなければ、練習場にすら通えないのです。
健常者の人が励ましの意味を含め、パラリンピックを称え、
障害者の人に「あなたも目指したら」と言う場合がありますが、
「パラリンピックを目指せる恵まれた家庭環境と障害」が不可欠なのです。
障害者すべての人がチャレンジ出来るものではないです。
だから「何でも出来る」と言う人は、「障害を詳しく知らない人」か
「障害者で格好をつけている(自分にウソをついている)人、または、
今の自分を中心に見て、本当に重度で苦しむ障害者の気持ちを理解していない人」と、言えるのです。
分かり易く、スポーツに例えましたが、生活全般にも同じ事が言えます。
是非、人権教育として、障害者の世界を正しく知って欲しいと思います。
とは言え、悲観的になるのは止めましょう!
たとえ、障害を持ったとしても大切な事は、
自分のペースで、自分の力に合った、自分の能力で出来る事に立ち向かう事。
自分なりの目的を持つ事が人生にとって、大切な事なのです。
手が動かなくとも、頭があるではないですか! 頭を使う事が出来るのです。
皆さんに真実を知って欲しい・・・。
●「障害があっても何でも出来る!」は、真実ではないと言う事。
●しかし、大切な事は、自分のペースで目標を持ち、諦めずに逆境に立ち向かう事。
なのです。
逆境にも諦めず立ち向かう姿。格好良いじゃありませんか! 輝いて見えます!
いかがでしょうか? 皆さんにも当てはまりませんか?
一度きりの人生を、あなたも輝いて、格好の良い生き方をしてみましょうよ!
「人生は通過点」 −今を苦しまないで−
五歳にして父が亡くなり、母子家庭、必死に働く母の後姿。中学時代に棒高跳びとサッカーで優勝。母の再婚。
高校時代は、高校日本記録にもう少し、そんな輝かしく華々しい時に、車椅子生活に。
そして、寝たきりのどん底から死に物狂いのリハビリ生活。
毎日が戦いで毎日藁をもすがる想い。明日、生きていられるか。
その次の日に命はあるのか・・・。
そして、妻との出会い、恋愛、結婚。すべてがこの日の為に、すべてがこの日を迎える準備であったのか。
私には分からない・・。ただ、与えられた自分の人生を必死に生きてきた。
父に抱かれた記憶も無い。
父の年齢も知らず誕生日も知ろうとする機会も無い幼児が少年になり、車椅子生活になり、そして、父に・・。
「運命とはなんだろう?」「人生とはなんだろう?」
諦めず、必死に生きる姿に多くの人が手を貸してくれ、私は幸せ者か、不幸せか。
怪我した当初は不幸な人間と哀れみを頂いたに違いない。現在は、妻もいる。子もいて、家もある。
寝たきりの重度障害者がここまでやって来られた。
私が怪我をした時に、多くの人が「可哀想」の一言であっただろう。
しかし、今幸せな私を見てその人々はどう感じるのであろう。
きっと、今は逆の立場になっている人もいるであろう。
「運命とはなんだろう? 人生とはなんだろう? 幸せって何だろう?」
今を苦しみ悩んでいる方、不況やリストラ、生きることは大変である。
私のように怪我をして目の前が真っ暗になっている方もいらっしゃるだろう。
でもね、それは「単なる通過点に過ぎない事を信じて」欲しい。今を一歩一歩進んで欲しい。
また、今が幸せな方も今の幸せが通過点かも知れない。今に甘んじる事なく、進んで欲しい。
人生は、どんなに辛くても苦しくても、自分で一歩を踏み出さねば何も始まらない。
今、辛い思いをしている方も嘆いているばかりでは何も進まない。
どんなに辛くても苦しくても、今を一生懸命に一歩一歩進むことで多くの人が手を貸してくれる。
諦めず、一歩一歩進むこと。 一生懸命生きる姿勢。そして、絶対に自分に負けないこと。
「辛くて苦しい」そんな時には「負けてたまるか!」の言葉が必要なのではないだろうか。
「パラリンピックの正しい見方」 −障害者スポーツに意義あり!−
今、ここで私が感じている事を素直に書きますね。それは「パラリンピック、国体」等のスポーツ大会に関してなんです。
パラリンピックを否定する事が目的では無く、私が首を傾げている事なんです。皆さん頑張っている事は認めます。
その努力を否定するはずもありません。
ここでお話しする内容は「中途障害者に限って」の事です。
例えば、オリンピックを経験した素晴らしい運動能力を持った方がいたとします。
その方が不幸にも重度な障害を持ちました。この方の「持って生まれた運動能力は素晴らしい!」わけです。
しかし、この方が「いくら練習してもパラリンピックに出られなかった」とします。
果たして、この方の 「持って生まれた運動能力」はなんだったのでしょう?
ここに「そこそこの運動能力。しかし、オリンピックなんて縁遠かった方」がいたとします。
この方が障害を持ち「練習の成果でパラリンピックに出られました」とします。
ここで皆さん何かを感じませんでしょうか?
●持って生まれた潜在的な能力は、どこに消えたのか?
●障害を持つ前には、元オリンピック選手に勝てるはずもなかった能力の方が日本代表?
・・・と、いう現実に私の頭は何がなんだか・・・。混乱します。
こんな話がありました。
それはパラリンピック日本代表の金メダリストのインタビュー。なっなんと・・・、その方の年齢は60歳近く。
皆さん、自分に当てはめてみて下さい。60歳でオリンピックに行けますか?
また、私の知人、受傷2年後、車椅子で日本代表になっていました。
私は怪我する前に「運良く、日本高校記録目指せる所」まで行けました。
そんな人間だからこそ、その「日本記録、日本代表になる事の難しさ」を知っています。
なので、はっきりと分かる事を言います。
「日本代表と言うのは、そう簡単になれるものではありません。」
ちなみに・・・。頑張っている事は認めますし、とても素晴らしい良い事だと思います。
が・・・。「現実にスポーツで60歳で日本代表になれるものでしょうか?」
「たったの二年で日本代表になれるものでしょうか?」と、どうしても首を傾げてしまうのです。
前述した「オリンピック選手が重度な障害を持った・・・」 と言う話から、
何がなんだか分からなくなってしまう私なのです。(笑)
結局、私自身が「障害を持つ前の能力と、障害を持った後の能力」に戸惑いを感じているのでしょう。
私が感じている事、なんとなく、皆さんに伝わるのではないのでしょうか?
障害者スポーツってこんな事もあります。「××大会優勝!」
しかし、出場者は優勝者たった一名だけだった。
是非、障害者スポーツを正しく見て下さいね!
「障害者の旅行は冒険だらけ!」〜障害者もエチケットをわきまえよう!〜
障害者が外出する事。まして、旅行なんて大冒険!
さて、ここで大切な事。冒険と言うのは綿密な計画が必要!
自力で何も出来ない訳ですから、多くの人に迷惑や手を借りる訳です。
計画なくして行動するのは、「他の人の迷惑を考えない無謀のひと言!」
そんな「キチンと計画を立てない無謀」を「冒険」なんて言っていたら冒険家に叱られます。(笑)
冒険家は綿密に計画を立てて冒険へと旅立つのです。
世の中は障害者に理解ある方ばかりではありません。
酔っ払いにいきなり「お前達なんかがいるから!」と殴りかかられる事もあるのです。
まして、「人に手を借りる」と言う点では、手を貸してくれる人の忙しさや手間、
相手に対しての思いやりと感謝の気持ちを持って行動する事が大切なのです。
それが「自分だけが楽しく」と言う自分の我がままだけを通すのではなく、
「手を貸してくれる方々も楽しく」させる旅行なのです。
それにしても綿密に計画を立てるにも何をどうすれば良いのか分かりません。
さて、それではどうすれば良いのでしょう?
新幹線の手配の仕方、乗り継ぎはどうすれば良いの? 飛行機の手配の仕方、ホテルはどこが使えるの?
講演で全国各地を回る私の体験談をお話します!
自分だけが楽しく旅行できれば良いのではなく、手を借りなければならない人間だからこそ、
「障害者の前に社会人として、弁えなければならないエチケット」があるのです。
「あなたがいるから幸せになれる」 〜人は誰も生きている意味があるんだよ〜
「えっなんだってぇ! 自殺したぁ!」
私は、そう叫ぶと同時に目から涙が溢れてきました。
弟の様に可愛がっていた二才年下の従弟が、自殺をしてしまったのです。
彼は、独りで、倉庫のような所で、首をつり、亡くなりました。
誰にも気づかれず、発見された時は、死後二日が経過しており、彼は何も恐れず、この世から去りました。
苦労した人生に「別れ」を告げ、今は幸せに、私達を見守ってくれていると思います。
私は、彼の幸せを信じ、只冥福を祈るだけです。彼の生い立ちから死を見つめ、今も涙が流れます。
不幸にも、彼は自ら死を選びました。理由は分かりません。だけど、ひとつだけ知っておいて下さい。
あなたが死ぬ事で、多くの人が悲しみます。「あなたの命」は、あなたの「命」かも知れませんが、
「あなたの家族や周りの人達の命でもある」事にも気付いて下さい。
日常、誰も言葉で表しませんが、あなたの存在が、「多くの人に潤いと生きがい」を与えています。
その人達の為にも、あなたには、「生きる義務」がある事を知って欲しいと思います。
今、目の前のちっぽけな悩みは、単なる通過点に過ぎず、
そんな事に振り回されず、今を一歩ずつ進む事です。
昨日を悔やまず、今日を大切に、明日に前向きに、生きる想いが大切なんです。
「スポーツが与えてくれた宝物」
怪我をする前、日本高校記録、日本記録を目指して、グランドで汗を流していた自分がいた。
どんなに辛い練習も負けずに、逃げずに、頑張った自分がいた。
あの日が来なければ、きっと日本代表として、色々な大会に出ていたであろう。
あの日、私はすべてを失った・・・。
私は最近、ふと考えるときがある。 あの日、私は本当にすべてを失ったのだろうか?
いや、それは違う!
私は、人生の中で一番大切な物を失っていない事に気づいた。
それは、どんな時も、どんな逆境に立とうとも、
立ち向かう勇気と精神力、そして、前に向かって突き進む強い心。
退院直後、最初に前向きに立ち向かった事。それは、車椅子での棒高跳びコーチだった。
おそらく、当時、車椅子で棒高跳びを教えたのは日本で初めてであろう。
教え子は優勝を争うほどの選手に成長してくれた。
そこから、すべてが始まった・・・。
その後・・・、ここには書ききれないほど、いくつもの逆境に立たされた。私はいつも口ずさんだ。
「負けてたまるか!」
生きていくうえで大切な事、「スポーツが与えてくれた宝物」だった。
「事故の怖さ」
入院中、色々な人と出会った・・・。
中でも、交通事故で障害を持った方は、悲惨だった・・・。
「仮免許の練習だ!」
彼は父親を助手席に乗せて練習をしていた・・・。と、その時! 事故に遭遇した。
二人は別々の救急車で病院へ運ばれた・・・。
彼は、見舞いに来る母親に恐る恐る、尋ねた・・・。
「父さんは・・・?」
彼は首の骨を折り全身麻痺。 頭に穴を開けられクビを吊っていた。
その先には、5キロの錘がぶら下っている瀕死の状態であった・・・。
その事故により、助手席の彼の父親は死んでいた・・・。 愛する主人を愛する息子に殺された母親。
私自身、事故の怖さを感じさせる話であった・・・。
その他にも様々な悲惨な事故の話を目の当たりにしました。 皆さんも事故の怖さを知って下さい。
「交通事故後のうまい対処の仕方」 〜事故後の処理を円滑に行う〜
その日は義弟の結婚式でした。
「危ないからシートベルトを締めないとダメだよ!」
私は、チャイルドシートに座らせた三人の子ども達に注意を促していました。彼達が4歳の時でした。
「もう着くぞ!」
一時間も固定され、むずがる子ども達に発した言葉の直後の事でした。
「キキッー、ドカン!」
後ろからの衝撃と共に、爆音と、そして、車はスピンを始めました。車は壁に激突し、私は車中に閉じ込められました。
「助けて! 中に子供と、身障者がいるんです!」
妻は後続車に必死に助けを求めました。車からは、ガソリンが洩れ始めていました。
救急車、消防車が呼ばれ、私たちは、奇跡的にも無傷で無事でした。
数日後、事故後の手続き、示談交渉が始まりました。
事故にあった時の対処方法、その後の示談を有利に進める事故後の対処、交渉術。 お話させてもらいます。
「障害者が地域と共に生きるコツ」 〜行政との関わり合いや、福祉サービスの活用〜
私は結婚をして、妻と二人暮らしでした。
子供に恵まれ、妻は出産をする為に2ヶ月間の管理入院をする必要がありました。
私は仕事をしなければなりません。自力で身の回りの事が出来ない私は、独り暮らしは難しく、
行政サービスや施設を利用する事にしました。
妻は無事三人の子ども達を出産しました。 そして、妻の退院と共に、私も施設を退所しました。
その時に施設の方に言われました。
「長年色々な障害者の方を見てきたが、こんなにうまく行政サービスを活用した人は初めてだよ。
どうやれば、こんなにうまく行政サービスを使えるの?」
行政との円滑な関わり合いは、障害者が地域で生きる為には必需です。 それには少しコツがあるのです。
その他
「チャレンジャーになれ!出来ないことは何もない!」
「車椅子体験講演(学校関係など)」
「障害について、今私たちに出来ること」
「今を生きる、運命を生きる」
「あきらめるな!」
「負けてたまるか!」
「3つ子のパパの車椅子奮闘記」
「捨てる神あれば拾う神あり人生っておもしろい」
「子どもの心の育て方」
「家族、地域、思いやり」
「自身を持っていきいきと暮らす」
「夫婦で共同作業としての育児」 〜パパからみた育児について〜
■講演料金目安
250,000円
※ご予算によってご相談に応じます。
※別途必要経費…介護士費 20,000円(消費税込)
■主な著書
漫画 『大空へ跳べ』 (神奈川県福祉政策課発行)・・・(モデル)
自伝 『負けてたまるか!』 (本の泉社)
絵本 本の泉社より、2006年3月「負けてたまるか!」を絵本化し、出版。
月刊誌『ゆたかなくらし』(本の泉社)にて、コラム連載、コラムニストとして活躍。
電子Book
| 絵本 |
『しろいうさぎのさとくん』 |
| 『さとくんとくまのあきおくん』 |
| 『みどちゃんとなかまたち』 |
| 詩集 |
『思いのまま』 |
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