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1981年
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高校3年生の時に日本で最初のトライアスロン第1回皆生トライアスロンをテレビで見て大感激。「優勝者だけでなくて最後まで頑張った競技者は、すべてが勝利者だ!」という、このスポーツのもつ強い魅力に惹かれていく。
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| 1983年 |
大学2年生時に第3回皆生トライアスロンに念願の初出場。 |
| 1985年 |
大学4年生時に結成された日本初のエリート集団チーム・エトナに加入する。 |
| 1986年 |
大学卒業後は日本トライアスロン連盟会長であった長島茂雄氏のもと、トライアスロン普及のためにジャパン・トライアスロンシリーズ(51.5K) の運営に協力する。同チームの飯島健二郎、中山俊行とともに、創世紀であった日本のトライアスロン界をリードしていく。 |
| 1988年 |
チームアクエリアスに参加、初戦の宮古島、玄海の2大会で優勝を飾る。そしてアイアンマンシリーズの最高峰であるアイアンマン世界大会では、アイアンマンV6のマーク・アレンに次ぐ第2位のラン・スプリットタイムで追い上げて、総合17位(日本人1位)の好成績を修めた。 |
| 1989年 |
国際トライアスロン連合(ITU)主催の第1回世界選手権フランスに中山俊行、宮塚英也、山根英紀、中込英夫と共に日本代表チームの一員として参加。 |
| 1989年 |
プロ2年目が順調に進んでゆくかと思われた矢先、アイアンマン・ジャパン、ITU世界選手権と2週間続けてレースに出場した翌週、房総半島でのバイク練習中に、急に右折してきた車に頭から激突。第1、6、7頚椎骨折、第5胸椎圧迫骨折という大事故で、普通の人間であれば即死であったと思われる事故をトライアスロンで鍛えた体が救った。約1ヵ月の絶対安静を含む2ヵ月の入院生活で、衰えてしまった体を立ち上がることのリハビリから軽いトレーニングを開始。予想を上回る回復力で事故後約1年でレースに復帰。その後、着実に成績をあげ、95年度には玄海、佐渡の2大会で優勝、アイアンマンハワイでは総合24位(日本人1位)となり完全復活。事故からの復帰は、日本テレビの番組やTBSニュースでも放送された。また、石渡治氏のコミック「10月の満月に一番近い土曜日」(小学館)にも実話編として登場している。 |
| ■山本が参加したチーム |
| 85年〜87年 |
チーム・エトナ
大学4年生時に最初に加入したチームがチーム・エトナである。トライアスロンの普及を目的としたオリンピックディスタンス(51.5K) 普及を目指す日本トライアスロン連盟に協力した。初戦はUSTSシカゴで日本で初めてのオリンピックディスタンスであるJTS天草の準備ともいえるものだった。チーム・エトナのメンバーは、飯島健二郎、中山俊行といった現在もトライアスロン界を支えているメンバーであった。主戦場はJTS天草、JTS仙台、JTS日本平、JTS長良川の51.5Kの他アイアンマンなど。他メンバーは。横井信之、山下光富、井口太郎、田中宏明(松岡修造氏のトレーナー)、中澤佑政(スキーのサラエボ五輪代表)などであった。 |
| 88年〜95年 |
チームアクエリアス
1988年にトライアスロン競技の発展と普及を目的としてチームアクエリアスがコカコーラのスポンサーを受けて設立された。ハワイのアイアンマンのTV放送が火をつけた日本のトライアスロンは、日本でも黎明期から発展期へと差し掛かっていた。 1985年に始まった沖縄県の宮古島大会、滋賀県のアイアンマンジャパン琵琶湖大会、JTS天草大会はそれぞれ4回目を迎え、さらに多くの大会が地域の活性化を目的として開催されつつあった。チーム・アクエリアスは、日本で最初のプロチームとしてトライアスロン界の中心選手を集めて結成された。トレーニング方法も確立して、レースでメンバーが各地のレースで活躍した。メンバーは、男子は山本光宏をリーダーに、梅沢智久、横井信之、山下光富、前田芳久、大安由洋、名取信二、柴田卓也、矢島実。女子は、吉田君江、村上純子、山倉紀子、北村留美、丸山美紀。この他ポール・ハドル、ポーラ・ニュービ・フレーザー、レイ・ブラウニング、スー・ラッショウなどの海外勢も含まれていた。(スポット選手含む)メンバーの選考にあたっては、トップアスリートであることはもちろんだが、人間性を重視して誰からも好かれ信頼されていることが重要な要素になっていた。それは、社会人としてトライアスロンの普及発展を期待されていたからである。 |
| 96年〜 |
チーム・J−Beat
1996年に結成されたチーム・J−Beatは、トライアスロンを真に追求する3人により結成された。レースの他にトライアスロン指導や講習会も行なっている。レースは主に宮古島、琵琶湖、佐渡、ハワイ、ニュージーランドなどのロング中心になっている。メンバーは、山本光宏、小松崎真、酒井修(仕事に専念中の選手あり)。 現在はトライアスロンを趣味とする社会人の方などプロアマ問わず、トライアスロンを楽しみたい人が気軽に参加できるクラブチームへと形を変えて活動している。 |