「車椅子からの出発(たびだち)」
「命をくれたキス」-絶望のどん底から這い上がるまでの軌跡-
ミス・インターナショナル準日本代表の栄冠に輝き、ファッションモデルとして順風満帆の日々を送っていた私から、一瞬の交通事故はすべてを奪っていきました。体の自由を失い、モデル時代には想像もつかなかった奈落に突き落とされた私が、二年間の入院生活を経てどのように立ち直っていったのか、ありのままを語ります。 |
「パラリンピックが私にくれたもの」
障害者となった当時、私が一番辛かったのは体の自由が利かなくなったことではありません。 それは、誰の役にもたたない、社会の荷物になってしまったのではないか、という言いようのない疎外感でした。車椅子に乗った当初は貧血で気を失っていた私が、車椅子陸上の世界大会で金メダルを取り、射撃でアテネパラリンピックに出場することが出来ました。様々な葛藤を経て、やがて自分の人生を素直に受け入れ、今は悩みながらも成長することの喜びを味わっています。「障害者はこう生きるべきだ」という基準などありません。それは自分自身で決めること、そのためには障害を受け入れ、自分の残された能力に期待をすること、だと思います。 |
「『人間』の価値と生き方について」
カナヅチな人、音痴な人は、泳げない事や唄が下手な事に対して劣等感を抱く事はあっても、人間全体の価値まで劣っているとは考えないのが普通です。ところが、一旦、障害者となると、本人も周囲もその人間性すべてを否定的に考えてしまいがちです。横並び意識の強い日本社会の中で、等しいはずの人間の価値が、一部の身体的能力や、生まれ育った環境によってなぜ歪められてしまうのかを考察します。 |
「スポーツを通して『人権』を考える」
射撃の国際大会に出場するようになり、海外を転戦してみて肌で感じるのは
「この種目は西欧で生まれた男性のためのもの」ということです。今は戦争や
決闘の武器としてではなく、誰もが楽しむスポーツとして確立されていますが、
国を代表して世界レベルの戦いをしていると、目に見えない多くの壁に気づか
されます。日本で暮らす限り、私のハンディキャップは車椅子に乗っていること
だけですが、場所や環境の違いによっては、東洋人であること、女性であるこ
ともハンディとなり、私の障害は増えたり減ったりするのです。射撃というスポ
ーツを通して、社会の中にある見えない壁とは、人間の権利とは、平等とは、
という問題提起を行います。 |
「人に優しい地域づくり、街づくり」
日本には、車椅子を必要とする障害者が2200万人以上います。一学年150人の中学校なら6人、満員の東京ドームには700人の車椅子の人がいるのが普通なのです。さらに、直接的な障害者だけでなく、高齢者、怪我をしている人、妊娠している人、小さな子供を連れている人、重い荷物を持っている人・・・等にとっても、街にはハンディキャップが氾濫しています。高齢化社会を迎え、すべての人に対して優しい街づくり、住み良い地域とは何かを考えます。 |
「ユニバーサル・デザインについて」
障害者にとって使い勝手が良いだけでなく、一般の利用者にとっても快適な施設を作ることは可能です。それらは矛盾するものではありません。私は車椅子を使っていますが、他の部分は健康で、腕は平均的な女性よりも力があります。もし建物に段差が無ければ私は障害者ではなくなります。障害を持つ人が同じスタートラインに立つために必要な設備は確かにありますが、それは「障害者専用」である必要はありません。ユニバーサル・デザインを増やすことにより、ハンディのある人が社会参加出来る、またそれが社会全体の最適化にも繋がる、これが私の考える福祉の本質です。
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「ビジネスチャンスとしての障害者マーケティング」
「1年に1〜2人しか利用者がいない」という理由で、障害者用駐車場や設備を違法に撤去したビジネスホテルが話題となりましたが、米国では、身体障害者法の施行以来、全米4300万人の障害者はその行動範囲を広げ、自ら仕事をし、お金を稼ぎ、買い物をする一大購買層となりました。結果平等ではなく、機会平等を求める米国の福祉の精神について考察すると共に、日本では未開拓なセグメントである障害者向けビジネスの可能性に注目し、新たなマーケティングのヒントを探ります。 |
●対象:学校、PTA、教職員向け
―いじめ、命の大切さ、生きる力を育む―
「悩みながら前を向く」
いじめに遭って、一番辛いことは何でしょうか? いじめにより自殺にまで追い込まれる子供達、そして現在、日本で一番自殺が多いと言われる40代、50代の男性、両者に共通することは「孤独」ではないでしょうか。
私自身のことを申せば、私は22歳の時に交通事故で車椅子の生活となりました。医者から「一生、車椅子生活が続く」と宣告された時は自ら死を考えました。その後、当時を振り返ってよく考えてみると、「車椅子イコール死にたい」ではないのです。車椅子生活になったため、もう社会から必要とされない人間になった、以前の友達が離れていくに違いない、一人だけ別の世界に取り残された、という思い、つまり孤独が死を結びつけていたのです。
幸いにも恋人の変わらない愛、親や友人達の支えがあって、私は障害を克服することが出来ましたが、実は同じ思いを小学生の頃にも経験しています。いじめられていた自分を恥だと感じ、小学生で負った心の傷は今も消えない、その後の人格形成にも影響しています。それでも幸せになれます。辛いことや苦しいことの経験は決して無駄に終わらない。生きていれば必ず春がきます。相談出来る親や友達も居なくて、じっと1人で耐えている子(人)もきっと居るでしょう。でも、どうか死なないで。何故なら、人生は10代より20代のほうが楽しいから。20代より30代のほうがもっと楽しい。「車椅子でも?」と思うかもしれませんが、車椅子であってもなくても、そうです。息を潜め、孤独と戦っている見えない相手にメッセージを送ります。この世に生を受けたこと、それ自体が最大のチャンスではないでしょうか。 |