「自分を信じること」
    皆そうなんだけどスプーンを単にカレーライスを食べるための道具としてしか見ていないんですよ。台所へ行ってスプーンを探すときは、食べるための用途としてしかスプーンを見ていない。別に無理矢理曲げるものとしてスプーンを見る必要もないんだけど、僕がいいたいのは信じるという気持ちの問題なんですよ。
芸術にしてもビジネスにしても何から始まるかと言えば、 「思い」からですよね。これこれこういう絵を書きたい。これこれこういうビジネスをしてみたい、とね。だけど思っているだけでも駄目だから行動に移る。思って行動する。この過程がなくしては何も始まらない。それでも結果が出ない時がある。それは信じるという気持ちが足りないんですよ。自分を信じるという気持ち。思い、行動それらも自分を信じる
という気持ちをベースにしていなければ何の意味もない。スプーンを曲がるものだと真剣に考えている人がどれだけいると思います?曲げてみたい、曲がったらいいな程度で考えていて決して真剣には信じない。だから大方の人はいつまでもスプーンをカレーライスを食べるための道具として信じ続けるんですよ。
朝起きて学校へ行くこと、会社へ行くことを疑う人はいない。皆それを信じている。気が付いたら学校へ通っていた。 気が付いたら一流企業へ内定した。そこには何の疑いも存
在していないし、言葉を変えれば信じきっているとも言える。つまりは大方の人が自分がこれまで歩んできた道を信 じ切っている。清田さんのスプーン曲げを信じ切る思いと
我々の日常生活を信じ切る思いのどこに違いがあるのだろうか?全く違いなどないのではないか?信じる切る、という 心理状態においては何の違いもないのである。敢えて言うならば、我々と清田さんの違いはマジョリティーを信じ切る力とマイノリティーを信じ切る力だけであるように思う。
僕はたまたまスプーンを曲げることが出来る。でもねそれは信じさえすれば誰にでも可能なことなんですよ。それでも出来ない人の方が多いというのだから、出来る僕には何か
やるべき使命があるのかもしれない。例えばここでしゃべっ ているように「信じる」という気持ちさえあれば不可能なこ となんてないんだぞ、と目標を見失っている人に伝えることだったり、本当にマジョリティーが正しいのか?と伝えることだったりね。
未来っていうのは今、この瞬間に心で思うこと以外には考えられない。ただただぼーっとしていても時間が流れるだけ。
だったらこれこれこういうことをしよう、これこれこういう ことは必ず出来る、と信じる。そしてそれが実現する。楽しくないですか?スプーン曲げも同じ。僕はただただそれが曲がることを日常生活の一部として信じ切っているだけ。だったら皆、自分が実現したいことを信じ切ってみたらどうなん
ですか?何もない時間を過ごすんじゃなくて自分を心の底から信じ切って、やりたいことを実現させたらどうなんですか?
清田益章という男はごくごく普通の大人の男性であった。 強いて言えば、下町生まれの気さくなやつ。という印象が強い。 好きなものは電機機器。僕は子供がそのまま大人になったような男なんですよ。だからビデオやらパソコンやら男の子が喜ぶ
ような電気機器が大好き。でもね最近の社会の大人たちはたちが悪いですよ。どっちが子供なんだかわかりゃしない。
これまで怪しい奴とかいんちきだとか、様々な誹謗中傷を受けてきたこの男には純粋な眼差だけしかなかった。疑いを知らない澄んだ眼差し。だからこそ彼にはマジョリティーの人間には
不思議に思える行動を可能にすることが出来るのかもしれない。 僕らが通常、常識として考えていることはどれだけ正しいので あろうか。スプーン曲げとは本当に天がもたらした不思議な力なのであろうか?
そのあたりをもう一度考え直してみる時代に、我々は既に差し 掛かってきたような気がする。
帰り際清田さんが、今度ゆっくり一杯やりましょうよ。と声を 掛けてくれた。清田益章は最後まで下町生まれの気さくやつだった。
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